F-5
「こんばんは、河野さん」
「こ、こんばんは……」
つい、顔が攣つってしまう雛子。
「それ、なんです?」
「えっ……?」
林田に問われて手元を見た。怖さが先立って気付かぬ内に、心張り棒を持って身構えていたのだ。
慌てて棒を下ろす雛子。
「い、いえ。何でもないんです」
「中に入れてもらえますか?」
雛子自身が玄関前を堰止めているのを、気付いていなかった。
「あ!は、はい。すいません」
「夜分にお邪魔します」
「こちらへ、どうぞ」
渋々とは言え一応の客だ。
雛子は座敷へ上げようとするが、林田は「茶の間で充分です」と、勝手に奥へと入って行き、
「ち、ちょっと!」
「あれッ、晩飯まだだったんですか」
許しも得ず茶の間に上がり込んでしまった。
「もう!先生って、本当に勝手なんだからッ」
呆れた顔の雛子に、林田は気にした様子もない。
「そう尖らずに。ちゃんと土産を持って来たんですから」
「お土産?」
「ほらッ」
包みから出したのは、瀬戸物の一升瓶だった。
「醤油……ですか?」
「違いますよ!お酒です」
「ええっ!?」
「貴女と呑もうと思ってね。こちらに赴任する時に買った物なんですよッ」
「えええッ!」
林田によれば、今日で手打ちをしたから、近付きの印に一献設けたいと言うのだ。
しかし、雛子にとって酒という物は縁遠く、正月の屠蘇以外では、教員になった祝いでビールを少し呑んだっきりで、その時も特別美味しいとは感じなかった。
正直言って、ありがた迷惑な話である。
「お気持ちはありがたいんですけど……まだ夕飯も食べてないので」
「そんなつれない事を言わないで下さいよォ!乾杯だけで結構ですから」
「ほ、本当に乾杯だけですよ」
「ええ!後は、質問に答えて下されば、さっさと帰りますッ」
雛子は、何となく懐柔された感は拭えないと思いつつも、林田の分の湯呑みを持ってきた。
程なくして林田は瓶のコルク栓を抜き、湯呑みになみなみと酒を注いだ。
「そ、そんなに駄目ですって!」
「まあまあ、いいから」
林田は、悪びれた様子もなく、そっと湯呑みを雛子の前に置いた。