やっぱすっきゃねん!VS-2
永井との議論が物別れに終わり、一哉は一人、アパートの一室で焦燥の中にあった。
覚悟を決めての意見だったから出た結果に後悔はない。
唯、永井の言った一言が、刺さった棘のように一哉の中で存在を主張する。
──勝つ事の何たるかを忘れてしまった。
普段なら一笑に伏すような言葉──気にもならない。
なのに、何故か今は、何度も頭の中をリフレインする。
(死にもの狂いになって甲子園で手にした物を、俺は無くしたとでもいうのか?)
──違う!
激しい否定の心になった。握った拳が、わなわなと震えた。一哉の脳裡に、十ニ年前の暑い夏が浮かんだ。
(俺は今でも、あの日の一球を悔いている。あの一球を……)
甲子園決勝。二点リードで迎えた八回裏の守り。ランナー一、二塁で投じた初球のスライダー。打たれて、レフトスタンドに飛び込んだ軌跡は今も鮮明に思い浮かぶ。
(あの日からだ。あの日があったから、俺は今でも野球に惚れ込んでいる……)
この想いを持って子供逹を指導してきたはずだったのを、真っ向から否定された。
(あの永井の眼……)
恨み言を言う眼でない。哀しみを湛えた眼をして、一哉の意見を否定した。
口論となった後も、永井への遺恨などない。むしろ、前任の榊を引き継ぎ、就任一年目で見せている努力ぶりは称賛したい程だ。
(それが、何故……)
県予選を勝ち進むにつれて、勝利至上主義に変わってしまったのか。
一哉には解らない。
永井、葛城、そして自分の関係は、良好だと思っていた。この関係をしばらく続けたいという気持ちもあった。
「いずれにしろ、終わった事だ……」
一哉は思考を断ち切った。
いずれにしても、溢れ落ちた水は元には戻らないのだ。
タイミングを良くして、携帯が鳴った。一哉はディスプレイを見る。佳代の父親、健司からだった。
(久しぶりだな)
最後に会ったのは今年の夏前。飲んだに至っては一年以上も前の事だ。
一哉は通話ボタンを押した。
「ご無沙汰しているね」
指導者と教え子の親としてでなく、フランクな語り口が耳に聞こえてきた。
「こちらこそ、ご無沙汰してます」
「さっそくだけど、今夜空いてるかな?」
久々に自宅で飲もうと言う誘いだった。
気分を変えたいと思った矢先の出来事。一哉にすれば渡りに船だ。
だが、ひとつ気掛かりな点があった。
自分が野球部コーチに就いてからは、他人の目を考えて距離を置いていたのが、何故、今頃になって、と。
その辺りを聞いたところ、健司は笑いながら答えた。
「大会終了まではと思ってたんだけど、もし、明日優勝したらそれどころじゃないでしょう。
だから、前祝いと思ってね。明日は僕も休みだし。どうかな?」
確かに健司の言う通りで、優勝すれば盆休みはおろか、九月末の野球部引退式まで暇は無いだろう。
「そういう事なら」と、一哉は快く応じた。
「じゃあ、八時に……」
電話は切れた。
時計は七時を示している。一哉は急いでシャワーを浴びた。
(久しぶりに、ゆっくり出来そうだな……)
温かい飛沫を浴びて、身体の緊張が弛緩していく。
──少し、野球から離れてみるか。
一哉の中に、そんな思いが浮かんでは消えていた。