やっぱすっきゃねん!VS-11
「明日、あの子は、あなたから 教わった全てを、試合にぶつけるつもりです」
「何ですって……?」
「試合に出るつもりなんです」
一哉は、全身の血が逆流する程の怒りを感じた。
「な、何故、止めないんです!?」
「何故、止めるんです?」
興奮気味の一哉に対し、健司は至って冷静だ。
「加奈は止めようとしました。でも、僕が辞めさせたんです。
医師やあなたから止められているのに、それでも出ようというのです。覚悟の上でしょう」
「そんな……あれだけの才能をみすみす……」
「加奈もそうでした。大学時代、彼女は将来を嘱望される程のプレイヤーでした。でも、怪我が多くてね。
リハビリに専念すれば、違った未来が開けていたかも知れないのに、彼女は試合に出続けたんです。身体の至るところにテーピングを施してでもね」
聞かせる健司は、遠い目をして思いを馳せていた。
「加奈は言ってました。“此処が自分の捨て場所”だって」
「捨て場所……?」
「その試合で、テニスが出来なくなってもいい。という意味でしょうか。事実、彼女はその試合を最後にテニスを辞めてしまいましたから」
「つまり、佳代もそう考えていると?」
「ええ。僕はそう見ています」
──なんて親だ!自分の子供が、むざむざとその才能を散らすかも知れないのに、それを放ったらかしにするとは。
一哉は、健司が信じられなくなった。
「……もう、あの子は分別の出来る年齢です。どうすべきかを自分で決めたんです。
僕の口から言うのも面映ゆいが、出来すぎの娘だと思ってます」
「失礼します……」
一哉は席を立った。
これ以上、此処に居れば、取り返しのつかない事態を招きかねないからだ。
もう二度と此処は訪れないと、たった今決めた。が、喧嘩別れだけは避けたかった。
「酔っ払いの戯言だから。聞き流しといてね」
靴を履く一哉に、加奈が小声で囁く。健司の乱れ具合を佳代から聞かされたのだ。
「分かってます。それより旦那さんの具合を……」
「放っときゃいいのよ。明日になったら、やった事を後悔して蒼ざめるんだから」
一哉は家を出た。行きの時刻は蒸していた外気が、ずいぶんと冷めていた。
(散々な日だったな……)
決勝前夜というのに、全てを無くした喪失感が心の中を吹き抜けていた。
そして、それとは違う何かが、胸に涌き上がってきた。一旦は完全に消えたと思っていた火種が、再び、燻りだしたように。
アパートに帰り着き、眠ろうと寝床に就いた。
しかし、寝返りを打つばかりであった。
一哉は、諦めて再び酒を飲みだした。酔った勢いで眠ろうとしたが、幾ら飲んでも目は冴えるばかりで酔いもしなかった。
──自分の捨て場所。
健司の言った言葉が、胸に突き刺さる。
「くそッ!」
また、あの夏の日が甦る。
あのマウンドで、必死に投げていた映像が浮かんだ。
打席に立つ打者を“殺す”つもりで投げていた自分が。
ウイスキーのボトルを飲み干した後、一哉は朦朧とした意識の中で床に倒れ伏した。歪めた顔のままで目を閉じていた。