カノジョノキモチ-7
「あの……ごめん、ね?」
「ん、何が?」
「だって……キス……しなかったから」
「ああ、覚えてるんだ。ミク、あの時は、人が変わっちゃうから」
「人を、変態みたいに言わないで!」
「今日はこないだみたいに気失ったりしなかったね。あんまりよくなかった?」
「もう! だから、あの時のわたしは違うんだって……!」
「でも、記憶はあるんでしょ? 教えてくれても」
枕が僕の顔にぶつかってきた。次に何かの小物類が飛んできた。
横を見ると、今は目覚まし時計を手にしている。目つきが、鋭かった。
「分かったよ、もう言わないよ」
「……今日は、もういいから。ここから、出てって」
「ああ、でも食材買ってきたから、夕食作っていくよ。もったいないだろ?」
彼女は返事をしなかった。食事は食事で、必要なのだ。あって損はあるまい。
寝室を出て、調理に取り掛かった。
キスに応じてもらえなかったのは、やはり少々ショックだった。
謝るくらいなら、最初からしてくれればいいのに。そう思って、つい意地悪を言ってしまったのだ。
しばらくすると、部屋着に着替えた彼女が出てきた。
ダボッとしたパーカーに、足首まで隠れたパンツ。色気も、露出もない。
よほどあの時の自分に嫌悪感があるのだろうか。
先程との落差に少し興奮してしまう、などと言ったら、また彼女は怒ってしまう。
その彼女が、うつむき加減で僕の後ろからポツリとつぶやく。
「何か手伝うことあったら、するわ」
「ああ、これはすぐ出来るから、そこに座って待っててよ」
「そう……」
ナスと豚肉を炒めて味噌で味付けした簡単なものだ。
こういうご飯と合うような料理が僕の好みなのだが、彼女がどうかは、聞いていない。
テレビはあったが、彼女はほとんど見ていないようだ。
背中に、彼女の視線をなんとなく感じている。
「ねぇ、何でわざわざ家に来て料理まで作ってくれたりするの?」
「今日は、君に呼ばれたんだから、そのついでだよ」
「他の日も、来てくれるでしょう? 家の人は、何も言わないの?」
「家は放任主義なんだ。これでも、そこそこ信頼されてるんだよ」
「わたしなんかの世話をしても、いい事なんか何もないのに」
いいも悪いもない。僕は、彼女のことが好きなのだ。
喉まで出かかったが、その言葉は飲み込んだ。
彼女は人間関係にはことさら慎重な傾向があった。あまり強い想いをぶつけると、却って敬遠されそうな気がした。彼女には、友達もほとんどいる気配がない。
一般の人とは違うもう一人の自分の姿を、極力見せまいと努めているのか。
「僕のことより、君はいつも部屋で何をしてるの?」
「別に。本を読むか、勉強しているか」
ミクは名門校の生徒で、成績も優秀だった。
幸い学年も一緒なので、勉強は教えてもらったりもしている。
天才型の人は物を教えるのが下手だったりするが、彼女はそのあたりも抜群に上手い。
僕の間違った回答を見て、どういう思考からエラーが生じたのか、すぐに読み取っているのだ。
洞察力が高く、しかも細やかさが行き届いた教え方だと思った。
こういう人間が教師になると、生徒は随分助かるのだろう。
そんなに勉強してどうするのか、聞いてみた。
司書になりたいのだと言った。僕は司書という言葉にいまひとつピンとこない。
図書館の中で仕事をしたりするアレか。本好きな彼女にはいかにも似合いそうではある。
どうやったらなれるのかは、よく分からなかった。
どういう本が好きか聞くと、何人かの作家の名前を言われたが、まるで分からない。
笑ってごまかすと、彼女が少し呆れたような顔をした。
僕ももう少し、本も読もうかと思った。