D-8
「ありがとう。もう1人で大丈夫だから」
息も整い、借りていた哲也の肩から手をどけた。
「此処からが、危ないから」
それは、岩場の途中でのことだった。突然、目の前に、ふた抱えはありそうな杉の巨木が現れた。
先人の知恵なのだろう。斧で付けた傷により、表皮に瘡蓋のような跡が残っている。
「此処を、斜面にそって下りて行くから」
「こ、此処を……」
下へと続く斜面は、見た目でもかなりの勾配だと解る。その上、鬱蒼と繁る木々の丸太が、数えられないほど隣接していた。
「下草が高くて足場も見えない。僕の後ろから離れないで」
「わ、わかった……」
雛子は後を付いて、昼なお暗い斜面へ足を踏み入れた。
(本当……草で見えないけど、ゴツゴツした土や岩の感触が解ってくる)
平坦な道に慣れた足には、足場の形状まで把握できない。
雛子は神経を足裏に集中した。
肌に当たる空気が、急に冷たく感じた。直後に、哲也が振り返った。
「この辺りから、露で下草が滑るよ」
言われて気がついた。モンペの腿から下が湿っている。
(気をつけて……)
注意して足を踏み出した途端、雛子は滑りこけてしまった。
「きぁあッ!」
こけた勢いで斜面を滑り落ちそうになったが、咄嗟に伸ばした手が木を掴んで大事には至らなかった。
「先生、大丈夫!?」
「いったァ……」
雛子はしゃがんだまま、苦痛に表情を歪めてる。尻をしたたかに打っていた。
「……ごめん。言われた側から転んじゃって」
「初めてだから仕方ないよ。立てる?」
「うん……だ、大丈夫」
雛子は、木に掴まったまま立ち上がった。
「あと半分だから、気をつけて」
哲也は今まで以上に後ろに気遣い、雛子も慎重に足元を確かめながら、斜面を下りていった。
下草を踏みならして足場を作ってやり、その上を力の入らぬ足で付いて行く。
やがて、急だった勾配は徐々に緩やかになり、平坦になった。
暗く、色の無い場所が終わり、再び日射しの下を迎えた。
「先生、見て」
指さす先は山が裂けていた。人事の及ばぬ力が働き、まるで、人跡を拒むかのような幽玄さを醸している。