D-6
「どう?」
哲也が訊いた。
「美味しい……」
心からの一言。
「冷たくて、甘くて。それに石蕗の爽やかな香り……こんな水、初めてだわ」
「本当に!」
「うん。もう一杯飲もうッ」
雛子は2杯目も一気に飲み干した。
「はあーーッ。生き返ったあ」
「ふふふ」
山の清水を、充分堪能したおかげか汗もひいた。次はお待ちかねの弁当である。
「いただきます!」
塩むすびに蕗の佃煮、それと卵焼きの弁当。
哲也は、遠慮なくおむすびを取って食べだした。頬張った顔が喜んでいる。
(んふふ)
風が枝葉を撫で上げ、木漏れ日を揺らしてる。清水の流れ落ちる音が心地いい。
自然の美観を愛でながら摂る昼食は、いつもの味を、より一層引き立てる。
昼食を終えると、哲也と雛子は鳥居の前に立った。
「ここに人形を置いて入るんだ」
人形を、柱の下に置いた。
2人は鳥居を潜り入った。此処より先は、山の神の領域となる。
そう思うと、自然と身の締まる感じがした。
雛子と哲也が、秘密の場所への道程を歩んでいた頃、雛子の家へとむかう男の姿があった。
細面で浅黒い顔は目鼻立ちが整ってはいるが、どことなく剽軽でさえある。
痩身の肢体に作業服姿。一見すると、飯場から流れてきた者のようだが、その目には独特の暗さは無い。
男は、家へとむかう道すがら、田んぼにいた百姓に声をかける余裕を持っていた。
もっとも、百姓逹は一瞥しただけで相手にしない。田植えに忙殺していることは勿論だが、他所者とは口を利かないのが村の習慣だからだ。
男は気にした様子もない。そんなものだと知っていた。
「ふう……役場からだと、結構な距離だな」
男は家の玄関に立つと、身なりを整える。はだけた上着のボタンを止めた。
「若い女の先生ってだからな。第一印象が肝心だ」
独り言を呟いて、玄関の扉を叩いた。
「ごめんください!誰かいますかッ」
かなりの声で呼んだ。が、反応は返ってこない。続けて2度、3度と叫ぶのだが、やはり家人が現れる気配はなかった。
「おかしいな。椎葉さんの話じゃ、いるって言ってたけど」
男は、玄関から裏に回ってみることにした。