序章 魔女アンネッテ-1
魔女狩りという言葉をご存じだろうか……?
一六〇〇年を中心の一世紀間。
その間のヨーロッパというのは、まさしく「魔女旋風」が吹き荒れた期間だった。
この時期をピークとする「魔女旋風」は、十三世紀中頃のフランスから吹き始め、やがてキリスト教国の全て、つまるところ西ヨーロッパ全土を制圧した。十七世紀の末頃に、その余波は当時発見されたばかりの新大陸、アメリカ大陸にまで影響を及ぼしたが、その後、急速におさまっていった。
この魔女狩りにおいて殺された人々は四万人ほどにも上る。
絞殺、あるいは絞殺された上で焼かれ、または生きながらに焼き殺され、時には何十人もがいちどきに殺された。
おびただしく並ぶ処刑柱は、まるで小さな林のようにも映った、と、当時のドイツを旅した旅行者は書き綴ったと言われる。
これらの迷信めいた残虐な魔女旋風――魔女狩りは中世の暗黒時代に吹き荒れたのではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色も鮮やかなルネサンスの最盛期において吹き荒れた。
そして、それを扇動したのが無知蒙昧な一般庶民たちではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当時の大学者、裁判官や文化人達だったということ。いまひとつは、魔女と呼ばれる者たちは、その昔からどの世界にもいたというのに、教会や、国家権力などによって張り巡らされたこの上なく組織的な魔女裁判、あるいは魔女狩りが行われたのはキリスト教国以外にはなく、かつ、この時期に限られていたということは、極めて特徴的な事実であると認識された。
それが現在において認識される魔女狩りであり、そして魔女裁判と呼ばれている。
しかし、真実の魔女というものの存在を、多くの時の権力者たちは長く隠蔽し続けてきた。
魔女を掌中にした者は、世界の覇権を手にすることができるとも言われたが、それはすでに前時代的な考え方であり、現代の法治国家においてはそのような考え方はまかり通らない。
そして、かつて、魔女が現れたのは一九四〇年代。
魔女を手に入れた国家は、その力を戦争において有益に使いこなそうとしたが、結果として、戦局を有利に導くこともできずに戦争は終局へと導かれた。
そして、そんな魔女の記憶が薄れて久しく、六十年以上の年月がたって、北アメリカ大陸にある、アメリカ合衆国において、ひとりの魔女が生を受ける。
名前をアンネッテ・ブロムシュテット。
その身柄をアメリカ合衆国魔女国家保護機関――USA-WSPAに保護されていた。
魔女の力はキスによって他者に分け与え、肉体関係を持った者はその命がつきるまで魔女の力を得ることができると言われていた。
もっとも、その言い伝えも現在では知る者はそれほど多くはなく、一般庶民達にはあまり関係のある話ではない。
かつて、枢軸国と呼ばれた国家、今は日本国と呼ばれる国では記録上では二度、ドイツでは一度ほど、過去に魔女を輩出しているが、その魔女にまつわる伝説は知る者はほとんどいない。
真実の魔女は常に世界でたったひとりだけ存在している。
ひとりの魔女が存在している時点で、他の魔女は生まれない。
どんな因果か、ふたり以上の魔女は記録上は存在しない。
「……検査、ですか?」
魔女の少女は、金髪の髪の男を凝視してから首を傾げた。
「以前、日本に魔女がいたということは教えられただろう? 日本であれば、魔女の扱いには慣れているからな」
そう言われて、銀色の髪のすみれ色の瞳の少女は、「でも」と胸の前で指を組み合わせながらつぶやいた。
「日本は、テロリストがたくさん出入りしていると聞いていますけれど……」
大丈夫なのですか?
少女は口ごもる。
「俺もクリスも同行するから心配はいらない」
「……本当に?」
金髪の男を探るように見つめたアンネッテは、不安げに瞳の光を揺らしてから睫毛を伏せた。
「大丈夫だ、俺を信じろ」
「……うん」
少女は屈強な男にそう告げられて、ややしてから頷いた。
今世紀にあって初めて生まれた魔女。
魔女と言うには彼女はまだ幼い。
そうして、屈強な男のジャケットの裾をぎゅっと掴みしめて不安そうな表情を隠さないままに沈黙した。
物語は、そこからはじまる。