C-9
「あれが先生の家だよ」
母親は、役場の持物だと聞かされいていた。
丘に沿って坂道を登ると、哲也が庭の方を指差す。
「母ちゃん。あそこを、畑にしてるんだ」
「ほう…」
母子は、作業中の場所に近寄った。
「明日は、山から腐葉土を採ってくるんだ」
息子は自慢気な態度で話す。母親は、暗がりの中で、指の感触をたよりに出来具合を確かめた。
「…腐葉土は、よおく篩(ふるい)にかけてな。それから、家の焚き物灰を混ぜ込め」
「わかった!」
ちょうどその時、背後から声が聞こえた。
「先生!」
振り返ると、雛子が玄関口から、こちらを窺っていた。
母親は、慌てて駆け寄った。
「先生様!」
「早川さん、こんばんは!」
母親は、雛子に頭を深々と下げた。
「だ、だから…そんなにお辞儀しないで下さいよ…それに、“様”って呼び方も困りますって!」
そんな年長者の厚意が、雛子はとても苦手らしく、両手を振って拒否しようとする。
しかし、母親には聞こえていなかった。
「あの、哲也が何かしでかしたんかの?」
「ええっ?どういうことです?」
あまりに突拍子な問いかけに、雛子は訊ね返した。母親が理由を言った。
「哲也のやつが、“先生様が話があるから待ってる”と、わしに言いよって…」
口調が暗い。どうやら母親は、悪い知らせと思い込んでいるようだ。
雛子は、困った顔でおでこに手を当てた。
「また…哲也くんたら、肝心なことを伝えてないのね」
「だって…先生が絶対呼んでこいって」
哲也は、バツの悪そうな顔になった。
「実は、お母さんにご相談があって、哲也くんにお願いしたんです」
「は、はあ…」
「さあ、哲也くんも一緒に」
雛子の強い招き入れに、母親は不安を拭えぬまま家の敷居をまたいだ。
「さあ、こっちです!」
母子は、茶の間のとなり、座敷に通された。
座敷といっても、床の間があるような本格的な物でなく、畳の敷かれた部屋で、雛子が客間として使ってるだけだ。
「こりゃあ…」
母親は驚いた。
座敷の真ん中に飯台が位置し、その上に幾つかの料理が置かれていた。
「なんだい?こりゃあ」
「今日は、畑作りのお礼にと思って…」
「……」
呼ばれた趣旨を聞かされた母親の表情が険しくなった。