刻を越えて-1
坂本悠一偏(1)
喉が熱い。まるで青白い炎を発しているようだ。竹刀を持つといつもこうなる。
「面ーっ」
相対している者が竹刀を振り上げて迫る。他者から見ればその一連の動作は美しく、機敏だった。その一瞬を見るだけで上段者には彼の強さが分かるであろう。
誰もが思った、避けられるタイミングでは無い――― 普通なら。
遅い
ブン！
竹刀は空を切った。
なぜか。観客には理解できない。
目で捕らえられない程の速さで、僕は避けた。
それだけではない、同時に相手の側面をとる事に成功していた。
喉に帯びている熱が強くなる。
それはあたかも、「もういい、終わりにしよう」、そう告げているかのようだった。
パーーンッ！！
「一本っ」
おぉっ。
歓声が上がる。「どうやって避けたんだ？」「さすがに強いよ」など何処からとも無く、いや、その会場全体からか感嘆の声がする。
礼のあとに相手が防具を外して話しかけてきた。
「いやぁ、強いねぇ。まいったよ。さすが日本一だ。」
「そちらこそ、最後は紙一重でしたよ。」
喉の奥がまだ熱かったが、声を出すくらいはできた。
「んー、あれを避けられるのが君と僕との差かな？」
肩で息をしながら、彼は言う。それは言い訳。
更に言わせてもらうと、それは間違い。
僕と貴方との差は、そんな生易しいものではない。
はっきり言って目をつぶっていても勝てる自信がある。
目の前の「剣道全国ベスト４」の肩書きを持つ人が相手でもだ。
けれども口にはしない。
「避けたのはまぐれですよ。」
「ああ、だと良いんだけどね。じゃ、また全国大会で会おう。今度は倒すからな、覚悟しておけ！」
そう言って彼はその場を去った。そんな覚悟は必要ない。
僕を勝手にライバルと決め付けている彼に、こう言ってやりたかった。
――――無理だよ。あなたでは僕を満たせない。
握っている竹刀を見つめる。そこには昔ほどの殺気は宿ってはいなかった。
僕は目を閉じて呟いた。
「そろそろ潮時かな。」
「すごいねぇ。今日も全勝で、これで九十九連勝だよ。」
練習試合の帰り道、幼馴染の圭子が言った。彼女の顔は、何故か得意気である。
「そんなに連勝記録、続いてたっけ？」
「続いてるよ。ゆうちゃんの試合は全部チェックしてるもん。」
それは当たり前だ。剣道部のマネージャーなのだから。
もしかしたら他の部員の試合は見ていないのか？
そんな疑問が頭をかすめたが、圭子に限って十分に有り得ることなので聞くのが恐ろしくなり、言葉にしなかった。
「言っておきますけどね、部員の試合はすべて見てますからね。」
「・・・まだ何も言ってないんだけど。」
「ゆうちゃんの考えている事はすべて承知しております。」
「さいですか。」
幼馴染、恐るべし。
「ホントにゆうちゃんは凄いよねぇ。剣道はじめてまだニ年経っていないのに日本一だもの。」
「ま、人には何かしらの取り柄があるってことだね。」
「わたしには？」
「何も無いね。」（即答）
「はっ！」
バキ。（圭子の右ストレート炸裂）
「・・・すみません。」
「分かればよろしい。」
「喧嘩の才能がありましたね。」
「ほっ！」
ボフ。（圭子の左フック一閃）
「・・・すみません。」
僕、坂本悠一とその幼馴染、圭子。
二人の会話はいつもこんな感じである。
「どうでもいいけど、そのゆうちゃん、て言うのはやめろよ。」
「なんで？悠一っていう名前なんだから、あだ名は悠ちゃんしか無いじゃん。」
「べつにあだ名でなくても」
小さい頃から変わらない呼び方。
高校生にもなってそう呼ばれるのは多少恥ずかしいが、急に呼び方が変わっても変に意識してしまうかもしれない。
僕たちの間にあるのは恋愛感情ではなく、家族的なものだ。
二人の距離が近すぎるのが、そうさせているのだろう。
物心ついた時から僕は彼女を擁護してきた。
近所の子供にいじめられている時、
学校で上級生にいじめられている時、
隣の犬にいじめられている時、
それから・・・・あいつは、いじめられてばかりじゃないか。
とにかくどんな時も圭子の一歩前に、僕は出るのだった。
それは義務のように思えた。
――― なぜか？
答えはいつもはっきりしない。