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『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜』
【SF その他小説】

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『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-91

第三五話 《変後暦四二四年三月五日》


 洗面所に並んだ、いくつかの洗面台の一つ。その鏡に、アリシアは顔を寄せていた。
時折瞬く、宝石のようなアイスブルーの瞳。それを彩るまつ毛も、二つの目を隔てる鼻梁も、一つの芸術品の如きバランスを成している。白くきめ細かい肌に、きゅっと結ばれた唇。淡い金髪は後ろで簡素にリボンで纏めているだけだし、格好も色気のあるものとは言えないが、それでも間違いなく麗女の部類に入るだろう。
アリシアはそんな自分の顔を食い入るように見つめ、そして…
…唇の端を、ぴくぴくと痙攣させながら吊り上げる。
「何してるんだ?」
 無表情な眼に引きつった唇と、なんとも形容し難い表情になっているアリシアに、とうとうエリックが声をかけた。ふらふら歩いている内に、此処に来てしまったのである。
水を求めてきたのだから幸運と言えなくもないのだが、まずいタイミングかもしれない。
鏡越しに、僅かに見開いたアリシアの瞳と目が合ってしまう。恐らくこれが、驚いている表情なのだろう。
「……」
 瞬間。アリシアは口も目もさっと元の無表情になって、ゆっくりとエリックの方に顔を向けた。びくりともなんともしないだけに、かえって異様な雰囲気が広がる。
「…………見ましたか…?」
 確認するように、アリシアが一言。
「……あぁ」
 こくりと、頷くエリック。
ちなみにエリックの顔は、真顔。先ほど見たアリシアの様子は強烈ではあったが、やはり今のエリックには大した影響も無いようだ。声をかけたのも、単に自分を動かす何かが欲しかったからに他ならない。というより『なんとなく』と言った方が正しいかもしれない。
「………」
 エリックの答えに対しても無表情を崩さないアリシアだが、表情とは裏腹に見る見る顔が紅潮していく。余程恥ずかしかったのだろう。感情が無い訳ではないという事は知っていたが、ここまで明確な感情表現を見たのは初めてかも知れない。
「…………笑う練習…です……」
 エリックから顔を逸らしながら、耳まで紅くなったアリシアは答える。
「笑う練習?」
「……はい…」
 聞き返すエリックとは目を合わさず、アリシアは肯定を返す。
「ある一件以来、自然に表情を作る事ができないので。一ヶ月程前から練習しているのですが、何故か不自然になってしまって………ですから人の居ない時間に、こうして鏡で確認を…」
 動揺しているからか、必要以上に多弁なアリシア。淡々とした声も、小さめだ。
「……………」
 ついに言葉が出なくなったか、言葉が止まる。
再び洗面所に、沈黙が降りた。
「…無理に口許を上げようとしないで、目尻でも下げてみたらどうだ?」
 大して表情に変化も見せず、エリックが沈黙を破る。
「……え…?」
 無表情に、だが少しだけ目を丸くしてアリシアは尋ね返す。
「目が笑って居ないから、不自然に見える。口許を意識しすぎなんじゃないか?」
 続けるエリックは、尋ね返すアリシアに構う様子は無い。
「……そう…かも知れません…」
 最初は戸惑っていたアリシアも、エリックの意見を認めるように呟く。
「………」
 沈黙。二人とも、互いに言う事がない。
「……何故、此処に?」
 沈黙を破ったのは、アリシア。
エリックにはどうと言う事もなかったのだが、アリシアには少し堪えたらしい。
口を開いたのはアリシアだった。
「色々あったからな。顔を洗いに出て彷徨っていたら、此処に着いた」
 エリックの返答は、適当と言っても差し支えない説明。
「……色々、ですか?」
「色々だ」
 適当に言っただけではあったが、本当に色々あった。エリックはぼんやりと思い返す。
別に、此処に来るまでに何かあった訳ではない。人生に起きた波乱の事だ。
「……?」
 答えたエリックに対して、アリシアは微かに眉根を寄せる。解せぬ表情とでも言うのだろうか。表情が表れないので判りにくい。が、どうでも良いと言えばそれまでだ。
どうでも良いついでに、今の状態を話してしまおうかとエリックは思った。今までにあった全てを話してしまえば、自分を見直す事もできるのではないだろうかと。だが、以前アリシアの話を聞かなかったのはエリックだ。自分だけ聞いて貰う資格など無いだろう。
そんな事を一瞬考えて、面倒になったエリックは…
「………聞くか?」
 結局。以前アリシアがエリックに対して使った言葉を、そのまま返した。
アリシアはその意図に気づいたか、エリックと目を合わせてきた。
「…………」
 そのまま探るように、暫くエリックの瞳を覗き込んで。
こう答えた。
「……聞かせてください」


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