『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-78
「ならば私も此処に残る」
黙っているエリックに焦れたかのように、X2が言う。
「それは駄目だ。お前はカイルと行け」
エリックの答えは、明らかにX2を拒絶する言葉。ショックを受けたのだろうが、X2がそれを表情に出す事はない。
「…私に、一般知識が欠如しているからか?何か問題があれば、修正するよう努める」
基より頑ななX2の表情が更に硬くなるのを、エリックは見逃さなかった。
だが気付いたからといって、何が変わるわけでもない。もう全ては、決めた事なのだ。
たとえそれが傲慢だろうと、過去に縛られていようと、異常な妄執であろうと………
エリックにはこれしか出来なかった。
「…このままお前と一緒に居れば、俺はある女性を本当の意味で失ってしまう。俺にとってそれが怖いだけで、お前に何ら非は無い……全ては俺の我侭だ」
エリックの言葉を聴いても、当然ながらX2は納得する様子を見せない。
どういう表情を作るべきなのか、自分でも判っていないのだろう。X2は硬い表情のまま、エリックを見つめ続けている。
「クリス・アンファング―――X1の事だろう?」
静かに告げたその声が、エリックを狼狽させた。
「…知っていたのか…?」
尋ねるエリックに、こくりとX2は頷く。よく考えれば、X2の前で何度か名前を読んでいるのだ。気付いていたとしても全く不思議はない。
「…私はX1と全く同じ遺伝子形質を有している。学習次第で、より近づく事も可能だ」
X2はこう言っているのだ。自分ならクリスの代わりになれると。
しかしそんな事は許されない。少なくともエリックには、認められない事だ。
「今からでも…」
言い募る彼女が悲しすぎて。エリックはX2の肩に手を置くと、首を横に振る。
「無理だ。…クリスの代わりなんて、誰にもなれない」
瞬間、X2の瞳が切なげに揺れた…ように、エリックは感じた。
「何故だ?遺伝子的には…」
「…そういう事じゃない。お前はお前なんだ」
そういった事を理解するには、X2の思考は幼すぎたのかも知れない。そしてその幼い子供を突き放しているのは自分なのだと、エリックの心に罪悪感が突き刺さる。
それを紛らわすようにX2の頭に再び手を置いて、くしゃっと撫でる。
「……いずれ、判るようになる筈だ。人は人の代わりにはなれない。なってはいけない」
X2は訳が判らないという視線を投げかけてくるが、やがてうなだれるように俯いた。
「…それでも…代用品になれなくても私は…お前の傍に居たい…」
初めての、X2からの積極的な意思表示。エリックの心が、思わず揺れる。
自分の行動は、X2を傷つけてまでするべき事なのだろうか。そんな迷いが、渦巻いた。
しかし皮肉な事に、X2がクリスと同じ容姿をしているが為に、クリスに対しての執着は消えはしない。同時にクリスを求める心の穴が、X2を手放す事を拒みもする。
「………すまない」
相反する感情に心がねじ切れそうになりながらも、エリックはただ、その一言を告げた。
その瞬間。列車の発車ベルが鳴り響く。
X2はその音を知らなかった為、注意が一瞬音のした方……ホーム天井近くのベルへと逸れた。その瞬間。
エリックはX2の身体を押した。
注意を逸らされていたX2は思わずよろめいて、カイルに受け止められる。
そしてX2がハッとエリックに視線を戻した時。ドアはスライドし、二人の間にある空間を、窓から通り抜ける光を残して遮断していた。
「…………」
呆然としたようなX2に向かい、エリックは言葉を紡ごうとして、止めた。
かけられる…かけて良い言葉など、在りはしないのだ。
列車が動き出す。X2はドアに取り付いたが、何ができる訳でもない。
列車は、X2を風景の一部と化しながら速度を増し、たちまち遠ざかってゆく。
そのまま、エリックは踵を返そうとした。
「……!」
ずきりと、胸が痛んだ。思わず胸を抑えて、列車の方を見やる。
もう列車は、遠くの線路で随分と小さくなっている。
エリックは手の届かない場所に消える列車から目を逸らす事もできず、列車が視界から消えるまで見つめ続けた。最後に見た、X2の瞳に浮かんでいた涙を思い出しながら。