『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-20
おかしいことなど無い。自分はクリスを探して、再び会うのだ。
そして、一緒にオジュテーの街を回るのだ。ま一緒に時を過ごすのだ。
「じゃあな。」
頭の中に浮かびかけた何かを振り払い、エリックはそう言って、エリックは再び女性に背を向けて歩きだそうとする。が、女性は袖を離さない。仕方なく、もう一度振り返る。
「……なんだ?」
声にやや苛立ちを交え、エリックは尋ねる。
「…でしたら、格納庫まで案内致します。」
女性が、エリックの前に出るように、建物の方へと向かう。
「……いいから。街に行くんだろう?」
うっとおしそうに、エリックは女性の肩を掴んで街の方へ押しやろうと、向きを変える。
自然、エリックは女性を自分に向き直らせる形になる。
「いえ、案内致します。」
エメラルドグリーンの隻眼が、エリックの瞳を見つめていた。
いつもの微笑みはなく、驚くほど真摯な表情が、そこにある。
思わず、エリックは反抗を忘れてしまう。
女性の瞳に引き込まれ、視野が狭窄する。
「……放っては置けませんから。」
突然、女性の手がエリックの頬に触れた。
びくっとして身を引こうとするが、何故か動けない。いつかも感じた、あの強制力のようなものが、確かにあった。いや、強制力であって強制力ではないもの。
威圧的なもので押さえつけられているのではなく、動こうとできないのだ。
自分で動けないことに、違いはないのだが。
「………」
そんなエリックの頬をなぞって、女性の手が上へと昇る。と、エリックはその指先に水がたまっている事に気付く。
涙。
「何故、貴方は泣いているのですか?」
またこの質問?前にもあった。何故?
いや、今更何故などと疑問を持つのも白々しい。
決まって、クリスの事を考えた時に流れているのだから。
本当は、判っている。
判っている?何を?
浮かびかけた答えを無理やり押し込めようとする。
何故そうしているのか。浮かびかけた答えとは、何に対する答えなのか。
頭が混乱する。思考がうまく働かない。
「く……ぅ……」
エリックの口から、うめき声がもれる。
苦しい。考えたくない。目を逸らしたい。触れたくない。
……。
「今は…これが限界ですね。」
と、いきなり女性の声が聞こえた。
途端に、あれほど動かなかった体が自由を取り戻す。
思わず、エリックはよろめいて数歩下がった。
「……大丈夫ですか?」
女性の瞳が、まっすぐにエリックを見詰めていた。
「……ああ……大丈夫…だ…?」
急速に、さきほどまでの事が、現実味をなくしていく。
夢から覚めたような気分で、軽く頭を押さえてエリックは答えた。
続いて、訊ねる。
「今のは一体…なんだ?」
催眠の一種のようにも思う。エリックは催眠をかけられた事が無いのでよく判らないが。
「……今の?何の事でしょう?」
首を傾げ、女性は聞き返す。
「だから、今のだよ……」
言いながら、言葉尻がすぼむ。
エリック自身、今の現象をどう表現したら良いか判らなくなっていた。
そもそも、今さっき何があったかすら曖昧なのだ。
「いや…いい。気にするな。」
逆に自分がどうかしてるような気もしてきて、エリックは言う。
「…?……それでは、行きましょうか。」
女性が、街の方へと歩き出す。
「ん………?」
何かおかしい気もしたが、エリックは多少ぼうっとした頭のまま、それに続いた。
きちんとした思考を取り戻そうと、頭の中で色々考えてみる。
と。いきなりある疑問にぶつかった。
「そういえばあんた、名前は?…俺はエリックだ。」
考えてみれば、お互い名前も知らなかったのだ。女性は全く気にしていなかったし、エリックのほうもとりたてて聞いたりはしなかった。
やはり女性の独特のペースに、巻き込まれていたらしい。
エリックの言葉を受けて、女性は少し考える。
「そうですね…では…クリス、とでも呼んでください。エリック。」
答えながら最後にエリックの名を呼び、女性はいつもの微笑を浮かべたのだった。