『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-159
しかし。
「待て、どうしてそんな事が判る？」
アリシアの口調は妙に断定的で、ただの楽観的な予測とは思えない。何かの根拠があるに違いなかった。
「……」
アリシアは躊躇ったように目を逸らして。覚悟を決めたように再びエリックを見た。
「私は、ナインの雛形を設計したワイザー博士の娘です。以前父の研究を手伝っていた時に、ＡＩチップを人間の脳として運用したケースがありました」
「それは……」
ナビアが様々な非人道的実験を行っている事は知っていた。カイルが行われた薬物投与もそうだし、アルファのＭ型ワーカー実験だってそうだ。
ＡＩの生体移植もその一つだったという事だろう。
「父もかつて、ＡＩチップで人間……人体を制御するという実験を行った人間です」
「そうか……」
父親の背徳的行為を他人に喋るというのは気分の良いものではないだろう。エリックは、アリシアの言いよどんだ理由を理解した。
「しかし一つ理解して欲しいのは、父は飽くまでも大切な人間を取り戻す為の手段としてＡＩの生体移植という手段に踏み切ったという事です」
父親を擁護するように、アリシア。
「大切な人間？」
「娘です」
「つまり、アリシアの姉か妹か？」
言っていて、エリックは自分の言葉に何かひっかかりを覚えた。だが、それがなんなのかは判らない。
「…………」
エリックが自分の言葉を反芻していると、アリシアは再び目を伏せていた。話を聞く限り余り楽しい話ではないだろうし、知らなくてはならないというわけでもない。エリックは、ついついアリシアの事情に土足で踏み込んでしまった事を反省した。
「……悪い、話を戻そう」
謝罪するエリックに、アリシアは気を取り直したように視線をエリックに戻す。
「ＡＩチップのプログラムは、最初は体の感情や感覚を知識として『知る』事はできても、実感として『感じる』事はできません。しかし生体との適合が進みチップと体の連携が緊密になるにつれ、感情や感覚そして欲求が行動規定に反映されるようになります。侵食されると言っても良いかも知れません」
つまりは、人間に近づいていくという事だろうか。
「それで痛みによって行動が阻害されるようになる、と」
「はい。先制攻撃によって痛みでナインを封じ、その間にチップを砕けば」
「なるほど、それなら確かにアイツを破壊できるかもしれないな」
「ですから、その時には」
託すようなアリシアの視線を、エリックは正面から受け止める。
「判っている。せめてもの責任は取る」
エリックが嘘を言っていないか判断しようとしたのだろうか。アリシアは暫し、エリックの目をじっと見つめてから。
「良かった。それではお願いします……」
ため息を一つついて。アリシアはずるずるとその場に崩れ落ちた。
先ほどよろめいたのは、エリックに密談を持ちかける為だった。しかしどうやら、今度は本当に体調が悪そうだ。
「少し、疲れました……」
その言葉を最後に、アリシアは意識を手放したようだった。
無理も無い、とエリックはアリシアを抱き上げながら思う。エリックに誘拐されてイツアスまで連れてこられ、ナインの変電所制圧に巻き込まれた上に手足を撃ち抜かれたのだ。
傷の痛みはもう無いだろうとは言え、緊張と恐怖と苦痛による心労は相当だった筈だ。
「……良く保ったな」
本当に、気丈な女性であるとエリックは思う。
此処まで連れてきてしまったという負い目もあったというのに、自業自得で荒んでいたエリックに責任の取り方まで示してくれた。以降アリシアに頭があがるまいと、嘆息せざるを得ない。
「必ず、無事に返してやる」
もはや、罪を重ねすぎた。エリックはそれを自覚してはいるし、勿論クリスを治療する事が今でも最優先事項だ。今更善人に成れるわけも無い。
だがそれでも、これから先やれる事がある。
それに縋る事は自分が自分を見限りきっていないという事であり、浅ましいとも言えた。だがそれでも。エリックの心には、何か明るい光明のようなものが生まれた気がしたのだった。