ワンダーランド-1
「ね…今夜は帰りたくない…」
そういって葉矢は俺の背中に抱きついた。
「なっ…何言ってんだよ?バカな冗談はよせ!」
俺は驚いて後ろを振り向いた。そこには、少し頬を赤らめ、しかし真剣な眼差しをした葉矢の可愛らしい顔があった。
「冗談じゃないもん」
少し拗ねた風に言うのが愛らしい。
葉矢は俺の高校からの親友、幹久の妹だ。ちょくちょく幹久の家に遊びに行っていた俺に、妙になついてきたのがこいつだ。最近結構可愛くなったと思う。でも駄目だ。
「やめろよ…俺、お前の気持ちには答えられないよ。だって…」
そういう俺の言葉を遮り、葉矢は少し苛ついた口調でまくしたてた。
「だって何!?どうせ私はまだ子供だって言うんでしょ!いっつもそう…タケルくんは葉矢のこと子供あつかいして…っ!葉矢だってもう十七だよ?!」
そうだ、葉矢は二週間前に十七になった。俺はプレゼントに大きなミッ◯ーのぬいぐるみをやったっけ。
「ぬいぐるみ貰って、飛び跳ねて喜ぶのは子供だろ?」
すごく嬉しそうにぬいぐるみにほおずりをしていた葉矢が思い出される。
「タケルくんがくれたから嬉しかったのっ!…葉矢もう子供じゃないよ?ほら、おっぱいだって結構大きいんだから!」
そう言って葉矢は、俺の背中にぐいぐいと自分の胸を押しつける。確かに大きい。
「バカ…やめろよ。そんなことしても無駄だよ」
ここは大人らしく、平然としておかないと。俺は全然動じないフリをして、そういった。本当は心臓がばくばくしてる。当たり前だろ?俺だって健全な男なんだからさ。
でも葉矢はそれに気づいて
「嘘つき。心臓ドキドキしてるでしょ?」
と囁いた。畜生、アホ葉矢!
「余り大人をからかうなよ?小娘。俺はセクシー美女じゃないと駄目なの!」
誤魔化しの一手。話をそらそう。
「あ、話そらしたな?フフ〜ン♪九年前から葉矢、ずーっとタケルくん見てるんだから!分かっちゃうよ?」
葉矢は嬉しそうに笑うと、俺を抱きしめている腕にぎゅっと力を込めた。
「葉矢、ずーっとタケルくん見てきてたの。ずっと好きだったんだよ?葉矢だって八歳も歳離れてたら、無理かもなって思てった。タケルくん異様にモテるし。タケルくんが他の女の人と付き合ってるのだって辛かった!家に来て、嬉しそうにその人の話するのだって聞きたくなかったよ!?でも傍に居たかった…。ずっと好きだったんだもん。諦められないよ…」
最後の方は涙声だ。
「葉矢…」
俺は腰から葉矢の腕をはずすと、葉矢と向き合った。そしてそっと彼女の涙を拭う。
「…何て言うか、その…有難う。ずっと、俺見ててくれてさ」
何言ってんだ俺?よくわからない。でも葉矢が俺のこと好きでいてくれたのは、嬉しいし、有難い。
「でもさ、俺、そんなに良い男じゃないよ…?幹久みたいに大学付属の内科医なんてやってないし…ただのしがない歯科医だよ。競艇ではスりまくりだし、口べただから合コン行けないし、事故って車お釈迦にするし…」
俺は言ってて情けなくなってきた。
「それに、スピード違反で捕まるし、電車で痴漢に間違われたし、万引き犯とも間違われたし、実は泳げないし…」
そんな俺の言葉は遮られた。葉矢のキスによって。
「タケルくんがカッコよくない男だって、葉矢知ってるよ?」
酷いことを言うものだ。ロマンチックもくそもない。
「でも葉矢はタケルくんが好き!そんなタケルくんが好きなの!」
そう言いきった葉矢。その目は真剣で、美しく澄んでいる。
――あぁ、こいつは、俺を見て、そんな俺の全てを好きでいてくれるのか。
この前付き合っていた女の台詞が頭の中で木霊する。
『タケルって見た目と全然違うのね。なんかつまんない』
容姿は派手で中身は地味。そんなのお前がかってに勘違いしたんだろ?
いつもそう。見た目だけで決めつけられる。ドジだっていいじゃないか。女はドジな方がモテるのにっ!
しかし葉矢は違う。ドジな俺でも好きだと言ってくれた。こんな俺が好きだと言ってくれた。そんなこと、初めてだ。
「ほ…本当に俺でいいのか…?」
恐る恐る聞いてみる。
「タケルくんが、いいの!!」
真っ直ぐな目で葉矢は俺を見つめている。何でこんな良い女に気づかなかったんだろう?こんなにも俺を愛してくれる葉矢。