「遠い隔たりと信じられない近さ」-5
翌日の夜。
子供逹が眠ったのを見て、少女は机に向かう。その表情は、いつもと違って厳しかった。
ことは昼間に起こった。学校の担任である、安西に呼び出されたのだ。
場所は進路指導室。進路指導室といっても、空きの教室に会議用の長机がひとつと、対面に2脚づつ置かれた折り畳み椅子しかない。
少女が訪れると、安西はすでに待っていた。
「…失礼します」
「呼び出してすまない。そこに座ってくれ」
「はい」
席についた少女。視線を合わせず俯く。呼ばれた理由が解っているからだ。
少女が安西と出会ったのは一昨年の春。最初の挨拶で、教員になって3年目にして、初めて担任になれたことを“夢が実現した”と喜んだ顔が印象に残ってる。
感情をまっすぐに出す人間。少女の苦手なタイプ。
(黙って叱られよう)
半ば諦めた時、安西が口を開いた。
「ところでどうだい?最近は。学校楽しいか」
「……」
いつもの直球でなく変化球。意外な出来事に、少女は反応できない。
「その、友達とはうまくいってるか?」
いつもと違うパターンが、心を戸惑わせる。
反応しない少女に業を煮やした安西は、軽い咳払いをすると、
「最近、勉強に身が入ってないようだけど?」
いつもの重たい口調に切り替えた。途端に少女の中に、いつもの言葉が浮かんだ。
「…すいません」
「ただでさえ厳しんだ。今そんなじゃ、先で困るって解ってるだろ?」
「はい…」
「じゃあ、何故おろそかにしてる?」
「すいません」
噛み合わない会話を繰り返すだけ。安西はこれ以上は無駄と考え少女を帰した。
少女の心は、この場を逃れたい思いだけだった。
そして思惑どおりに解放されたが、それが一時的だというのは解ってた。
(今のままじゃ、お母さんにも迷惑かけてしまう)
そもそも目標を掲げたのは少女の方だった。
それは去年の春。園長の片岡に打ち明けたのだ。
漠然とした目標を、片岡は“素晴らしい”と後押しを約束してくれた。
そして、もう1人が安西だった。
それ以来、片岡は少女の勉強に役立てばと、本を貰い受けてきたり、勉強時間を増やそうとしてくれたりと協力してくれる。
安西は安西で、成績はもちろん、精神的な事柄までケアしようと色々気にかけてくれたのだ。
少女は嬉しかった。身近な大人が自分の夢に共感してくれ、手助けしてくれることが。
しかし、晩秋を迎えた頃から、少女の中で何かが変わった。
嬉しかった手助けが、今は苦痛に思えならない。
高まる期待と迫りくる期日。そして、伴わない実力が少女にプレッシャーを与えた。
それは、振り払おうとすればするほど重くのし掛かり、少女からやる気を削いでいった。