是奈でゲンキッ!-7
「あはん…あはん…ハンハンッ……」
ケガは全く無かった。それゆえ、何処も痛い訳でもなければ、痒くも、くすぐったくも無い。
是奈は泣きながら、全身泥だらけの身体を引きずるようにして、自宅へと帰るべく、トボトボと歩き。歩く度に、乾いて固まり始めた泥の塊が、バラバラと制服から剥がれ落ちていた。
そんな彼女を庇うようにして、都子と真由美も、是奈と並んで歩き。
彩霞は、壊れた是奈の自転車を押しながら、三人の前を歩いていた。
綺麗な真紅のママチャリも、泥だらけのヘロヘロで、とても元の色艶は伺えなかった。
切れて役に立たなくなったブレーキのワイヤーも、だらしなく垂れ下がり、田んぼに突っ込んだショックでひしゃげたのだろう、歪んでフラフラする前輪が、最早このマシンの再起が不能で有る事を告げている様でもある。
4人とも、さしたる会話もなく、ただただ夢遊病者のように俯いて、是奈の自宅が有る方向へと、黙々と歩くのみであった。
しばらくして、真由美が言い出した。
「朝霞さん……制服の替えとか持ってる? これ……クリーニングに出さないと……ねっ」
真由美は是奈の右隣から、まるで石膏ででも固めたように、硬くなってゴワゴワする彼女の制服の袖を突っつきながら、そう言った。
是奈は、泣きながらも「替えが有るから大丈夫……」と、小声で言う。
「彩霞のせいだからね! 彩霞がこんな事、やろうって言ったせいだからね!」
都子は、是奈の左隣から、少し前方を是奈の自転車を押しながら歩く彩霞に向かって、罵声を浴びせる。
そんな都子の声に、彩霞も首だけ捻って振り返ると。
「あぁ〜解った解ったぁ! 俺が悪かったよっ! クリーニング代は俺が払うって……是奈、ごめんなっ」
彩霞はそう言って、ばつが悪そうに頭を掻いていた。
本当に反省しているのだろうか、この人達は…… そんな事より金輪際、この三人組とは付き合わない方が良いのではないか。いやいや…… 誰が何と言おうと、中村さんの言う事だけは、真に受けるのは止めよう。と、この時是奈は、自分自身に誓っていたのかもしれない。何となく彩霞を見詰める是奈の視線も、冷たい様子であった。
「ごめんね朝霞さん。わたしも……貴方の気持ちも考えないで、はしゃいじゃって…… 本当にごめんなさい」
是奈の、落ち込んでいるだろう姿を気遣ってか、真由美はそう言い出すと、彼女もまた流れて来た涙を指で拭ったりする。
「田原くんにも格好悪いところ見られちゃったよね…… 是奈ちゃん……田原くんに嫌われちゃったら……わたしどうしよう!」
都子は都子で、そんな先走った思い込みで、是奈の事を心配してか、本気で悩み出した様子である。両手で顔を覆い隠して、首を振って居た。
「そっそんなぁ…… 二人とも心配ないって。あたしならほらぁ、全然平気だっってばぁ。嫌な事はさぁ、さっさと忘れちゃおうよ! ねっ、ねっ」
何やら、今度は是奈が落ち込んだ二人を、慰めモードだったりする。
両手に華ならぬ、自分の両脇に居る二人の女子高生に向かって、交互に手を振って、笑顔を見せたりと、なんだか忙しくなって来ると。
やばい! 二人とも責任感じちゃったみたい…… どうしよう。二人共泣き出しちゃったらどうしよう! と、逆に焦ってオロオロし出したりもする。
実際、考えてみるまでも無いが。藤平さんが悪い訳でもないし、佐藤さんが言うよほど、自分は田原くんと親しい訳でもない。それに田原くんは、自分が田んぼに落っこちる前に帰ってしまって、泥だらけになった、あたしの姿は見て無いはず。
どうやら是奈は、自分の無様(ぶざま)な格好を、憧れの『田原 嘉幸』にだけは見られなかったはずだと、それだけは、どうやら心の救いになって居たようである。ホッと安堵の溜息を付いていた。
「ほんと大丈夫だから、藤平さんってば、泣かないでよ。佐藤さんもやだなぁ〜! あたしと田原くんって、そんな仲じゃないってばぁ。あはははぁ〜」
是奈は、自分のせいで暗くなった二人の険悪なムードを何とかしなくちゃと、必死なようである。一生懸命笑顔を作って、真由美と都子に投げ掛けていた。
そんな健気な是奈の姿を見て、彩霞がふと、漏らす。
「それにしても田原の野朗、冷てーよなぁ! 自分の彼女が田んぼに落っこちたって言うのに、助けもしねーで帰りやがってさっ! あいつ意外と薄情な奴なんじゃねーのか!!」
「ちょっと〜…… 中村さんまで止めてよ〜っ。あたしと田原くんって、本とにそんな関係じゃ無いんだからぁ。……あたしまだ告白だってしてないし……」
「おいおい本気(まじ)かよっ! ……するってぇとなんだぁ! 今回の『田原くん好き好きアピール大作戦』は失敗だったってことかよ」
おいおい、何時からそんな作戦になったんだ! だいたい話が摩り替わってるぞ!!
是奈も、彩霞に言われて。
「だから、違うってぇ〜〜!」
と、顔を真っ赤にして、首を横に振りまくっていた。
そると今度は都子が、何かを思い出したかのように、徐にスカートのポケットから携帯電話も取り出すと。
「ねえねえ見て見てぇ〜! わたし是奈ちゃんがゴールした瞬間、写真取っておいたんだ!」
と、都子は自分の携帯についているカメラで撮ったらしい、是奈の宙に舞う姿の写真を、携帯の画面に映し出して見せたりする。
「マジかよぉ! こいつ何時の間に撮ったんだぁ!!」
「ねーねー、見せて見せてぇー!!」
と、彩霞と真由美も、その画面を覗き込んだ。是奈も一緒に覗き込む。
するとそこには。丁度T字路の細いアスファルト道路から、広い田んぼへと飛び出した瞬間だろう。真っ赤なママチャリに跨って、あたかも1粒300メートルの人が、両腕を高らかに上げ、フィニッシュを決めるがごとくポーズを取り、空を舞う是奈の姿が、鮮明に映っているではないか。何気に、満面の笑顔を浮かべている風にも見える。
そんな写真を見せられて、是奈としては正直穴が有ったら入りたいぐらいに、恥ずかしかったようである。目を見開いて、驚き、声も出なかった。
すると。