全一章-7
部屋の中の臭気はまだ少し残っておりましたが、通気を良くしているうちに消えるでしょう。季節が夏に向かっていることが幸いでした。午後には建具屋さんが入る予定でしたから、門馬家と舞衣ちゃんの恥とは言わないまでも、醜態を見せずに済んだことにホッとしました。
今度は食べさせることでした。オカユを冷ましながらスプーンを近付けると、はね除けこそしませんでしたが、やはり、プイとばかりに横を向いて避けました。でも、それは形だけの抵抗だと分かりました。私は、黙ったまま舞衣ちゃんが振り向くのを、そのまましぶとく待っておりました。
舞衣ちゃんが頑固に振り向こうとしなかったので、私は、ここにきて初めて口を開きました。
「わたしの口移しで食べたいの?」
それを聞いた舞衣ちゃんは、私を睨み付けるようにした後、スプーンに食らいつくようにオカユを啜りました。女の私から、キスじみたやりかたで飲まされた水の味に、恥じらいと妖しさを見ての反応でした。思春期の女の子らしい気持ちが覗いたのを感じて、私はホッとしました。
「両手、使えるんでしょ?・・・もう病人じゃないんだから自分でお食べなさい」
私はそう言って、舞衣ちゃんに器とスプーンを差し出すと、案外素直に受取り、瞬くうちに平らげました。
「もう一杯食べる?」と聞くと、「食べる」と答えたのです。
私の目に涙が溢れました。拭こうとする前に、私の涙を見せてやりました。
「わたし三奈子よ。おばさん、なんて言ったら承知しないからね。ママの友達の友達の、そのまた友達だから、あなたとも友達なんだから」
建具屋さんが、ドアや窓を修繕している間、ようやくご主人が、クランクでリクライニングする簡易式のベッドを見付けたらしく、得意げに息を弾ませて帰ってきました。
舞衣ちゃんを新しいベッドに移しかえると、やはり爽快感がそうさせるのか、舞衣ちゃんの顔が柔らかくなっておりました。
床を洗って消毒し、壁紙の汚れを落とし、壊れた調度品を外に出し、舞衣ちゃんの勉強机や本などを整理したりして、もう一度シャワーを浴びているうちに、初夏の長い一日も陰りだしました。
夕食用のオカユを冷ましながら、今度は同じスプーンで分け合って食事を済ませ、歯磨きをさせた後、私は、少し横になろうとベッドに倒れ込むように転がると、睡眠不足と疲れのために、前後の見境なく深い眠りにおちてしまいました。
夜中にふと目を覚ますと、新しい上掛けが掛けられておりました。弥生さんの気遣いに感謝しながらまたウトウトとしかけると、舞衣ちゃんが忍び泣くように啜り上げているのが聞こえたので、私は舞衣ちゃんの横に入り、頭を私の乳房の間に抱えて髪を撫でているうちに、また、眠ってしまいました。
早朝、舞衣ちゃんのベッドで目を覚ますと、舞衣ちゃんが私の顔を見つめておりました。青ざめた顔は、それでも、灰色の光りの中で美しく、これで健康を取り戻したら、どれほど美しい少女だろうと胸が躍りました。
私は突然「しまった!」と言って飛び起きました。不覚にも眠りこけてしまったせいで、舞衣ちゃんのオムツ替えを忘れたことに気付いたのです。夕べ泣いていたのは、お水は飲むしオカユは食べるし、そうでなくても、私の乱暴な扱いに疲れるしで、夜中、早い段階でお漏らしして泣いていたのだと。
「ああ、いけね! 大失敗だ。ごめんよ、気持ち悪かったのね」
舞衣ちゃんの脚を片方ずつ持ち上げ、綺麗に汚物を拭ったあと、蒸しタオルでお尻や花弁の中まで綺麗に拭き取り、消毒綿で仕上げをして着替えさせてやると、舞衣ちゃんの顔に少しばかり赤みが点しました。
母親にさえ見せないところでも、私の一日の奮闘や、口移しを体験した舞衣ちゃんには、私の方が気兼ねのいらない仲だと思ったのでしょうが、ふと、少女の恥じらいが出たのだろうと想像できました。