昔のオトコ-1
あれは確か中学校の卒業文集。
クラス全員の寄せ書きの真ん中に、ひときわ大きく書かれていた言葉。
「継続は、力なり」
決して達筆とは言えない無骨な文字で、そのベタな格言を書いた若い担任教師は、私が初めて淡い恋心を抱いた相手だった。
大学を卒業し、社会人になって15年―――。
甘ったるい初恋のセンチメンタリズムを抜きにしても、その言葉が本当の意味で大切に感じられるようになってきたのは事実だ。
しかし――――女が長く同じ職場に勤めるということは、時に思いもよらぬ弊害をもたらすことがあるらしい。
―――――――――――――
「……嘘……」
朝一番。人事課の掲示板に貼りだされたA4サイズの異動通達の前で、私は茫然と立ち尽くしていた。
そこにははっきりとしたゴシック体の文字で「システム推進課 課長 北原一輝」と書かれている。
よりによって、一輝が、私の上司になるなんて―――。
支社もたくさんあるそこそこ大きな会社だから、もう同じ部署で働くことはないと高をくくっていた。
社内恋愛なんて軽々しくするんじゃなかったと、今更ながら後悔していた。
一輝とは同期入社で、私たち二人は当時出来たばかりの神戸支社のオープニングスタッフ要員として5年間一緒に働いた。
まだ電話回線さえまともに整っていないようなガランとした新社屋。
そこを「支社」として機能する状態にまで作り上げていく苦労と達成感を共有するため、どこの支社でもオープニングスタッフ同士というのは家族のように仲がよくなる。
それに加えてお互い初めての社会人生活、そして慣れない土地での独り暮らし―――とさまざまなスパイスに刺激され、私と一輝はあっという間に恋に落ちた。
当時社宅として与えられていた一輝のワンルームマンションで、私たちはほとんど同棲のような生活を送っていた。
若かったこともあり、毎日貪欲にお互いを求め合い、身体を重ねた。
あの頃の恋愛を振り返ると、彼と一緒にどこへ出かけたとか、何を食べたとかそういう思い出よりも、朝となく昼となく飽きずに抱き合った濃密な時間ばかりが蘇ってくる。
5年後には二人とも本社に転勤になり、しばらくは交際が続いていたのだが、結婚を望む彼と働きたい私の間に溝が出来、結局は別れてしまった。
改めて数えてみればもうかれこれ7年間もまともに顔を合わせていない。
文字通りお互いのホクロの場所まで知り尽くした相手と、今更どんな顔をして働いたらいいのだろう―――。
「――――天野、おはよう」
「……へっ?……ひぃっ」
背後から突然名前を呼ばれ、挨拶を返す代わりに奇妙な声が漏れた。
バッと勢いよく振り返ると、私のすぐ後ろに、その北原一輝本人が柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
思いもよらないタイミングの不意討ちに心臓が潰れそうになる。
「か……かず……っ……北原……くん」
喉まで出掛かった名前を慌てて飲み込んで、ひきつりながらも精一杯の笑顔を作る。
いくら全てを知り尽くした相手でも―――いやそんな自分だからこそ、今や妻も子もあるこの人のことを名前で呼ぶのはさすがにマズイ。
「今日からは『北原課長』―――だろ?」
ニヤッと不敵に上がった口角がゾクッとするほどセクシーで、不覚にも身体の奥がジンと疼いた。