about me : ノムラハルト-2
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あの夏の日。部活から帰ってきたねーちゃんは、うちの母ちゃんからオレが脱走したことを聞かされる。小学6年生だったオレは宿題のことか何かでしこたま怒られて、家を飛び出したのだ。ねーちゃんはセーラー服が似合う女子高生になっていたが、相変わらずオレのことを実の弟のように可愛がってくれていた。だから、オレが心配だと、オレを連れて帰るからと家を出たまま帰らぬ人になってしまった。白い棺の中で眠るねーちゃんの頬には大きなアザができてた。ねーちゃんの葬式の間、オレは泣くことすらできなかった。ずっと手を握り締めて。握り締めすぎて血が滲むほど。でもねーちゃんの恐怖や痛さはこんなもんじゃなかったはずだ。オレのせいでねーちゃんは。オレのせいで、オレのせいで…
引きこもるようになったオレをひっぱたいて説教してくれたのは、ねーちゃんの母ちゃんだった。
「オレのせいだ、って陽人が自分を攻め続けて、あのコが喜ぶと思う?」
おばさんはそう言うとあの日、いやあの少し前からねーちゃんの身に起こっていたことを説明してくれた。あの時はよく理解できなかったが、今なら理解できるし、それをオレに説明してくれたおばさんの心の痛みも少しは理解できるような気がする。
ねーちゃんは元カレからストーカー行為をうけていたんだそうだ。ねーちゃんが亡くなってから見つかった日記にそれに怯えている様子が書かれていたらしい。誰にも相談しなかった。友人にも両親にも、もちろんオレにも。誰にも心配かけたくなかったからだろう。オレを探しているねーちゃんは後ろからつけて歩いていた犯人に、倒産して放置されていた資材置き場の跡地に引きずり込まれ、乱暴され、殺された。だから陽人のせいじゃない。陽人が悪いんじゃない。悪いのは犯人なんだ、と。もしそれでも陽人がオレのせいだって思うんだったら、あのコの分もちゃんと生きて、と。あのコの分も恋愛して、勉強もして、バイトもして、あのコの分も自分の人生を、陽人の人生を楽しんで、と。あのコが陽人を自分の弟のように可愛がっていたんだから、私たち夫婦にとってもあなたは息子のようなものなのよ、と。しゃきっとしなさい、背筋はって、胸はって生きていきなさい、と。
それから少しずつ、オレは日常を取り戻していった。高校ではチャラいと言われながらもバイトと恋愛ごっこ、勉強に明け暮れてねーちゃんの志望していた大学に入った。まぁ、ねーちゃんの志望していた学部ではないけれども。ねーちゃんだってソコはほら、許してくれるだろう。
なぁ、ねーちゃん。今のオレどう思う?見てるだけで声もかけられないへっぴり腰のオレを笑うかな?ねーちゃんに相談したかったな。
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お姉さんを居酒屋で見てから数ヶ月。やっぱり挨拶くらいしかできないまま毎日が過ぎていく。彼氏いるかも、って思ったら余計に声をかけられなくなった。いつもビールと煙草のお姉さんが、珍しくお弁当も買って、おまけに温めて帰った翌日。
「いらっしゃいませー」
お姉さんに一目惚れしてからもう2年の月日が流れようとしていた。検品していても品出ししていてもポリッシャーをかけていても、ドアが開くチャイムがなる度に条件反射でその言葉が出る。始めたばかりの頃は割に合わないし早く辞めたいとさえ思ったバイトをこうして今も続けられているのはお姉さんのおかげだ。
あれ?喪服?
不謹慎だけど、綺麗だなぁと見とれてしまう。でも傍目から見てもわかる。真っ赤に充血してしまった目はまだ少し潤んでいる。大切な人を亡くしたんだろう、と。それでも豪快にビールの6本パックをかごにいれ、普段買わないおつまみを買い、いつも買う煙草だけではなく、違う煙草も頼まれた。
…大丈夫、ですか?
なんていきなり聞けるわけもない。なんとなくおつまみといつもと違う煙草は亡くなった方の分なんだろうなぁ、と思う。自分がそうだから。ねーちゃんの命日には必ずねーちゃんの好物だったお菓子と飲み物を買う。
「…ありがとうございます」
誰だかわからないけれど、亡くなられた方に哀悼の意を込めて。
「ありがとう」
いつもよりは心もとないけれど、いつも通りそう言うと荷物を受け取り、お姉さんは店を出て行く。幸か不幸か、店内には客は誰もいない。
「わりぃ、今の人に入れ忘れしちゃった!追いかけてくる」
「はいよー」
普段からあまりやる気のない相方に一応声をかけて慌ててお姉さんのあとを追いかける。頭よりも身体が勝手に動いていた。
「すみませんっ」
そう声をかけるとお姉さんは肩をびくっと震わせて、恐る恐るといった感じでこちらを振り返る。まずい、驚かせてしまった。焦る、焦る、焦る。あ、そうだ。涙目。慌ててポケットからタオルハンカチを取り出すと差し出した。お姉さんはなんで?って顔をしてオレを見る。
「あ、あのっ。コレ使ってください」
「え?あ、ありがとう」
変なヤツって思われないかな?もしかしてもう思われてたらどうしよう。この店員ウザイとか思われてたらイヤだな。
「あのっ、余計なことかもしれないんですけど…元気出してください。ってなんかおかしいですよね。ほんとすみませんっ」
自分でも何がいいたいのかわからない。でもとにかく心配してることとか、元気になって欲しいって思っていることを伝えたい。
「ありがとう。遠慮なくお借りします」
お姉さんは少し微笑んでくれて、タオルハンカチを受け取ってくれた。
「ありがとうございます、お気をつけて」
もっとオレが大人だったら気の利いたことを言えただろうか。頭を下げて後ろ髪を引かれる思いで店へ戻る。何度か振り返ってしまう。お姉さんの後ろ姿は少しだけいつもと同じように凛として見えた。