お嬢と爽やかと冷静男-12
感情を押し殺しているような、妙に平淡な声。押し込めている感情は、もちろん、分からない。
「一目見たときから思ったんです。この人は他の人とは違うって」
立ち止まった。
でも、振り向けない。
下らないことでも浮かべる笑顔。
人を小馬鹿にした顔。
呆れたように吐くため息をつく表情。
いつもの、遠矢。
振り向いて、だけどそんなものがなかったら。もし見たことのない表情をしていたら。
僕は、たぶん、耐えられない。
きっと僕は遠矢が嫌いじゃないのかもしれない。
それ故に。
そんなことはあってはならない、僕たちの間には。馬鹿で騒がしく下らなく色付いたこれまでは、絶対に壊しちゃいけない。
「ですから、きっと幸一郎さんはわたくしにとって大切な――」
もし壊れたら、二度とは元に戻らないから。
そして、
「――とっても大切な、玩具なんです」
「…………」
十秒前の僕よ、どうよこの現実、しかと見ろ。
本当に首をくくりたい。ありえない。これはきっとまやかしだ。
「ふふっ、どうしたんですか立ち止まって。何かありましたか?」
きっと今、からかった後のように、いつものように笑っているのだろう。
「……何でもない。足の短いお前を慈悲深くも待ってやったんだ。山より高く海より深く感謝しろ」
「あらあら、それはどうも有難うございます、幸一郎さんのくせに」
いつもの会話。
いつもの声。
歩きだした僕のことを小走りで追い抜いて、振り返らないで先を行く。
「それでは、――これからも存分に楽しませてくださいね?」
「……知るか」
やっぱりこいつは。
わがままで、人を小馬鹿にしてて突拍子もなくて、ズル賢くて、だけど、有り難くて。
だから僕は、そんな遠矢桜子が。
心の底から……、――。
……。
……。
◇
次の日、僕は再び新聞部の連中に囲まれていた。
「栗花落くん栗花落くん昨日は何さ何かな!? いつの間にかいなくなっちゃって遠矢さんもやっぱりいなくて!」
「怪しいなっ」
「怪しいぞっ」
「怪しさ大炸裂っ!」
「うっさ……」
四方からしつこく責め立てられて耳をふさいでいたところに、ちょうどよく遠矢を発見した。
さすがにもう追け回されてはいないらしく、普通に廊下を歩いていた。
「ああ遠矢さんじゃあないですか、昨日はどうして何も言わずに――! ままままさか栗花落くんに脅されて連れていかれて拘束されて……ああっ見たい! はっいやいや、なんて悪逆非道な!」
「……ってことで、この馬鹿を黙らせるために無実を証明してくれないか」
遠矢の言うことなら無条件で信じそうだし。
「はぁ……。では、そうですねぇ」
遠矢は人差し指を軽く唇に当てながら何ごとか考えていたが、ふと微笑を浮かべた。あまりいい予感はしない微笑。
「昨日は色々と、――秘密を共有していたんですよ。ね? 幸一郎さん」
や、やはり……。
一気に血の気が引いて、代わりに周囲のボルテージは上がったようだ。おおゼロサムゲーム。
「ふふっ、昨日の仕返しですよ」
楽しそうに笑いながら去っていく遠矢の背を眺めながら考える。
まったく、これをどうしろと言うのか。まったく飽きる暇もない。
やはりあいつといると毎日が騒がしい。
だから。
やっぱり僕は、遠矢桜子のことが、
――大ッ嫌いだ。
(了)