全一章-9
「ママ、ただいま」
「レッスンしてもらった?」
「うん。今日は歌ってるって褒められた」
「それ、最高の褒め言葉ね」
「そう思う? もっと嬉しかったのはね、彩乃先生ねママのことが大好きなのがすごく分かった。茜がね、だんだん昔の早苗に似てくるものだから、ふっと、茜の胸に顔埋めたくなるなんて言うのよ。これって、聞きようによっては意味深じゃない?」
「まあ・・・そんなことを・・・」
「それに、茜が自分の子供のように思えるって言ったのよ。いやだよ彩乃先生の子供なんて。恋人になりたいよ」
「まあ、茜ったら」
「ママより一つ下だとしたら35? 6? ウーン、20台にしか見えないわよね。茜が妹だって言ったっておかしくないよね」
「そうねえ。昔は年上に見えたのに、彩ちゃんて年取らないのよね。独身てこともあるけど、ずっと恋してるってことが若さの秘訣なのかしら」
「ずっと恋してるって・・・そうかあ・・・奈津子さんを忘れないってことね」
「そう・・・彩ちゃんは、奈津子先輩に永遠の愛を誓っているのね。でも・・・これは茜もママも、ここだけの話にしようね」
「分かってる・・・素敵だよね・・・茜も泣いちゃいそう」
「ママもよ・・・なんて素敵な恋かしらね。奈津子先輩も幸せだわ。そこまで彩ちゃんに愛されて」
「そうかあ・・・それぐらいの激しいっていうか、深い感情があるから、音楽にそれが出るのね」
「茜も少し分かってきたみたいね」
「でも・・・恋しなくちゃそれが出ないのかなあ」
「多分そうよ。恋をすると感情が豊かになって、心が敏感になるって言うでしょ?」
「言うでしょって、ママもパパに恋して結婚したんでしょうに。あ、そうか、パパの強引さに負けたんだっけ。つまり、恋はしていないと」
「バカおっしゃい。恋愛でしたよ」
「もう少し素直になりなさい」
「そうよね・・・そうしよ。その経験からすると、恋をするとまた弱気になったりするのよね。いくら愛されているって自信はあっても、どこかで心配なのね。電話が鳴ると、あ、あの人だって思って、電話に出て違う人だったりすると、自分に腹が立ったりね・・・どこかがすごく過敏になるのよ。それを思うとね、いくら天才っていわれる少年や少女でも、そういう恋の喜びや辛さを知らないピアニストのショパンは、ママはあまり聴きたいと思わないもん」
「恋、しなくちゃ・・・ね」
「したからって、そうはいかないけどね。彩ちゃんのような恋をするには豊かな感性がないと、ただくっついた離れたっていうような浅いものになっちゃうだけよ」
「ママが言わんとするところは承知」