華麗なる逃亡日記 〜DONA NOBIS PACEM〜-1
夕刻、ある学校脇の森の中。
昼ならば陽光のいくらかを遮り陰影を作る木々の葉は、この時刻には深い闇をいち早く呼び寄せるのに助力していた。だがそれも外との境界線に近い位置ではまだ弱く、そこは射し込む日によって夕暮れで通用する程度には明るい。
そんな夕と夜の境目で、夕刻の側に体を向けて他よりも太い木の幹に背を預ける少女がいる。
冬月・凛だ。
凛は怯えた表情で闇が漂う方、森の中心部に気を遣る。まるで夜が迫ってくるのを畏れるように。
しかし違う。凛が畏れているのは闇ではなく、もっと明確な形を持つもの、確固としてそこに存在する敵だ。そしてそれは、確実にこちらに近づいてきている。
ふと己のいる森の中から東、正面に顔を向ければ、数本の木とフェンスを越えた向こうに見慣れたグラウンドが広がっている。
そこには長い影を引きずりトラックを走る陸上部らしき生徒や、白球を追い掛ける野球部員。
ごく普通の放課後の様相だ。
凛は木陰からそれらに思いをはせた。かつて、そこに在ることが当然だと信じ、強固であることを疑わなかった光景へ。
自分は今、そこにはいない。例え以前の居場所が見えようと、自分が今いる場は間違いなく“戦場”だ。
紛れもない事実、そのことは己の手の内にある黒鉄色の筒のような物体が如実に物語っている。
普段お目にかかることのない、穿つ事を目的として作られたそれを、先程までに自分は何度敵に向け、何度向けられたか。
一度そのことを意識してしまえば、連鎖するように先程の記憶が蘇る。
脳裏に浮かぶのは記憶の断片。引き金の感触、反動、撃たれた者の虚を含んだ表情。そして、相手が残した最後の声。それらは、
……全部、現実の出来事だよね。
いくら理由があろうと、ためらった末の行動であろうと、引き金を引いたのは自分の意志、その結末。
凛は浅くうつむき、唇は何故と問いを形づくる。
しかし答えるものはなく、凛もそれは承知している。
やがて、解を得られぬ想いは言葉となってあふれ出た。
「何で……」
強く目を閉じ、何かを払うように首を左右に振り、
「……何で私はサバイバルゲームなんかしてるのっ!?」
◇
夕暮れの森の中、いくつかの影が木々の合間を駆け抜ける。
数は四。
不規則に並ぶ木々を必要最低限の身の振りで駆け抜ける白と、その後ろ、同程度の速さで追いすがる三つの迷彩柄だ。
その先頭の白、薄手の白い外套を着込んだ少年――御幸は裾を疾走に揺らしながらつぶやく。
「……ったく、何でこんな無駄に統率がとれてるかなぁ。数人でつかず離れず――」
言いながらわずかに速度を落とすと、右手に見えた木の幹に手を回し、抱き寄せるように力を込め強引にその陰に滑り込んだ。
それと同時、周囲の木に何か小さく硬いものが連続して当たり、小気味よい音が空気を震わせる。
「――隙を見せたらBB弾の雨あられ、か。ほんと無駄技能だよなっ、と」
撃つために振り返ろうとすれば速度が落ちる。速度が落ちれば一斉射撃。こちらの攻めを封じる動きだ。
相手は漫画研究部。開始前は、こちらが経験量で劣るといっても所詮はインドア派と舐めていたが、
「……ただの量産型かと思えば意外と高機動型だし。でも負けたくはないよなぁ。部室が賭かってることだし」
ため息混じりの独白が終わると同時、弾の衝突音が消失した。
相手が射撃を止めたのだ。弾切れか、あるいは隠れた相手に無駄弾は使えないといったところだろう。
今までに撃たれた回数を考えれば、前者の確立が高い。そしてその場合、こちらには待ってやる義理や理由はない。
そう御幸は判断し、一歩目から全力を行使して走りを再開。
それを受け、背後の足音もこちらとほとんど間を空けずに再び追跡してくる。
追ってくる音を聞き御幸は舌打ち一つ。どうやら後者だったらしい。
この一団と遭遇してから約十五分。それでもまだついてきているところを見ると、速力だけでなく体力もこちらと同じと考えた方がいいようだ。
……このままでは埒があかないな。
それに逃げに撤するのは性に合わない。そろそろ攻めに転じるべきだ。
思考はまとまった。後はただ、自信を持って実行すればいい。
御幸は走る速度はそのままに、追跡者へと声を向けた。交戦の声を。
「諸君に警告その一、しつこい男は嫌われるぞっ!」
そして先と同じように手近な木を掴み、しかし隠れず、木を支点にコンパスのように身体を回転。白い影が半円を描くように廻る。
動きながら空いた右手に拳銃を構え、右前方、正面、左前方に各三発、合計九発の弾を撃った。
扇状に飛翔する弾は狙いなどろくに付けていない威嚇。二発、三発と木への着弾を示す快音が森の空気に抜ける。
……それでも撃たれれば反応するはず!