華麗なる逃亡日記 〜DONA NOBIS PACEM〜-8
「くそっ! 何だあいつらはっ」
男は口の中だけでつぶやく。さっきは目標達成まであと一歩だったというのに、最悪なタイミングで邪魔者が入った。さらにその邪魔者の排除も美奈の隣にいた女子、凛によってあっさりと阻止されてしまった。
男はもう一度、くそっ、とつぶやく。と、何か奇声が聞こえ木の陰から様子をうかがうと、さっき邪魔に入った男子が美奈たちから離れていくところだった。
そして男子の姿が消えてから少し間を空けて、美奈とおまけも動きだす。
妨害者の離脱および目標の移動を視認した男は、このチャンスに感謝しながら息を殺し追跡を開始した。
どうやら向かう方向からして、ふたりはこちらのフラッグを狙っているようだ。まずいことに陣地を守るはずの自分はここにいる。職務を忘れて前に出すぎたことを少し後悔したが、すぐに頭を切り替える。
自分は今、相手の背後にいる。ふたりとも一応周囲に気を配っているようだが、この現状、自分の経験数から見れば始末するのは簡単なことだ。
無防備な背中にごめんとつぶやき、男は狙いを付けようと。
瞬間。
美奈が振り向き、当然の成り行きのように目が合った。
凛に話し掛けようとしたのか後方を確認しようとしたのかは分からないが、理由なんてどうでもいい。ただ目の前には自分が発見されたという事実だけがある。
男は舌打ちし、しかして冷静さは失わず狙いを付ける。
……今日はやけに不意打ちがうまくいかない日だな。
だが今回こそは邪魔も入りそうになく、間違いなく動くより先に撃てる。
撃つ。
そう決め、引き金に掛けている指に力を込める。
美奈が凛へ手を伸ばし、その身体を押すのが見えた。かなり力がこもっていたのか、凛は大きくよろける。
しかし遅い。美奈自身は避ける暇もなく、トリガーは加わった力によって引かれ、装填された弾が発射されるだろう。
そして、それは男が思ったとおりに現実になる。手の中でその威力が発揮される。
だが、それだけでなく、同時に予想外の動きも起きた。
美奈の体が、何かに引かれたように急に移動した。
◇
凛は急に自分のことを押してきた美奈の、その表情を見た。
驚愕、焦り。そこから容易に想像できるのは、敵の存在。
……危ない?
明確に考えられたのはそれだけで、どちらが、ということや、どう危ないのかということまでは考えが及ばなかった。
ただ、危険であることは確かに感じた。
だから、そこから先はほとんど無意識の産物。
押したままの姿勢で前方へ伸びている美奈の右腕を自分の左腕でつかみ、突き飛ばされた勢いに引き寄せる力を加え、むりやりに牽引。まったくの予想外の動きだったのか、大した抵抗も感じられず美奈の身体はあっけなくこちらに倒れこんできた。
……うわ、思ったよりも軽い。
引いた腕から美奈の体重を感じ、場違いにそんなことを考えながら手を離す。しかして自分はそこで止まらずに、右足を軸にして半回転、その勢いで体勢を立て直す。
ちょうど美奈を背後にかばうような態勢になり前を見れば、さっきも見た男子生徒が銃を構えていた。闇の世界へつながっているようなその黒い銃口は、間違いなく自分の方へ向いている。
特に感慨もなく醒めた頭でそれを眺め、
……私はここまで、かな?
悔いなどあるはずもなく、それは嬉しいはずのことだった。
……でも、ちょっと残念。
なぜそう思ったのかは分からない。ただ自然とそう思うと凛は目を閉じた。
直後、森の中に敗者の宣告が響く。
発射音はすぐ横から聞こえただけだった。