華麗なる逃亡日記 〜DONA NOBIS PACEM〜-5
由紀は拓巳のつぶやきは見事に無視して、代わりに、陣地に戻る相手の後ろ姿を見て言った。
「さて、これで面倒事は片付いたな」
ニヤリと笑い、銃を構え、
「――それではさっきの続きと行こうか。なに、おとなしくしていればすぐ済むぞ?」
◇
凛は思う。かなり気まずいこの雰囲気を、一刻も早く何とかしたいなと。
凛は見る。隣に立つクラスメイト、気まずい雰囲気になる原因である穂沢美奈を。
ただ、気まずい原因といっても、凛が美奈に対して嫌悪感や敵対心を抱いているわけではないし、逆もそうだろう。
……そんなことを感じられるほど、私、穂沢さんのこと知らないから。
最近は以前よりも一緒にいる機会が増えたが、それでも常に間には拓巳か御幸がいた。自分と美奈の接点はそのふたりなのだ。
そして今、ふたりともここにはいない。
凛にとって友達の友達とは、その場に共通の友人がいなければ他人以上知り合い未満の気まずい関係になるだけで、今がまさにその状況だ。
……拓巳くん、どこにいるんだろ。
開始直後に皆とバラバラになってしまったのは失敗だった。まさかよりによって美奈と出会うとは思わなかった。拓巳と言わず、せめて御幸でもここにいてくれたら。
「ねえ」
短く声が。
何事か分からず、少し間を空けて、ようやく自分に向けられた声だと気が付いた。
「――あ。え、えと、はい、何ですか?」
返事はすぐには返ってこない。
……慌て過ぎちゃった、かな?
呼ばれただけなのに慌ててしまい、変なやつだと思われてしまったのだろうか。それとも、さっき聞こえた美奈の声は実はリアルな幻聴で、何もない空間に返事をしてしまったとか。どうであれ恥ずかしいことに変わりはないが。
凛は頬が熱くなるのを感じながら浅くうつむいた。
美奈は今、そんな自分をいぶかしげな目で見ているのだろうか。そう思うと、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。
「……早く終わらせるから」
「え?」
あわてて顔を上げるが、美奈の表情は少し先を歩いているため見えない。まさか幻聴シリーズ第二段の発動だろうか。
そんなことを考えているうちに、次の言葉が紡がれ始めた。
「冬月さんこういうの苦手そうだから。巻き込んだ責任とって、早く終わるようにできる限りガンバるから」
美奈は振り返らないが、つまりはこちらのことを考えてくれているということか。
本心ではなくただの社交辞令かもしれないし、それだけで美奈と完全に打ち解けられるか、と言われたら否と答えるだろう。
だけど、最初の一歩を踏み出すきっかけにはなる。十分だ。
「……はい。あの、ありがとう穂沢さん」
美奈はちらっと振り向いたが、すぐに前へ顔を戻した。そして小さく、
「うん」
それだけ。ただそれだけで、気まずかった雰囲気はだいぶ薄くなったきがする。
……まだ穂沢さんと完全に打ち解けたわけじゃないけど。
それにはもっと時間が必要だ。でも一歩は踏み出した。
軽くなった気持ちを胸に、凛は美奈の背を追い掛けた。
◇
「……まずいまずいまずいまずい……」
森のなか、男性のつぶやき声がかすかに広がる。
声の主は太めの身体を迷彩服で包み、木の陰から所在なさげに辺りを見回していた。まるで目を逸らせばそれが消えるとでも思っているかのように。
だが何度やってもその視線は同じ場所に行き着き、彼は現実を直視することになる。
その視線の先にはふたりの女子。
凛と美奈だ。
男はふたつの無防備な背を見て、再びつぶやく。
「……ああ、よりにもよって我が心のアイドル、穂沢さんとは。頼むからこっち来ないでくれよぉ」
誰にともなく哀願して視線を移すのは、自軍のフラッグ。そして思い出す、それを守るという自分に与えられた大事な使命。
敵としてフラッグを奪いにくるのならば、たとえ親兄弟であろうと排除する。それが戦場というものだ。
だが、と心の中で前置きして、
「ぬぅぉぉぉお、ダメだぁ! 俺には穂沢さんを撃つことなどできないっ。だが仲間は裏切れない……! 悲しいけどこれ、戦闘なのよね!」
ひとり悶えながら、頭を抱えてゴロゴロと転げ回る。その表情はなぜだかわずかに嬉しげだ。
やがて男はひと仕切り転がった後で、急に動きを止めた。そして何を思ったのか、驚愕の表情を顔に浮かべ上半身を起こし、
「――ぅ分かったぞぉっ! これは神が我に与えたもう試練! 逆境にも社会の目にも負けず愛を貫いてこそ、穂沢さんに相応しい男になれるのだな!? ビバ愛・戦士!」
誰もそんな事は言っていないが、ひとりで妄想にひたる彼の目には、脂ぎった危険な光が宿っていた。
ギラリ。