華麗なる逃亡日記 〜DONA NOBIS PACEM〜-4
閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、状況も考えずに繰り返されてきた悪魔の所業。
拓巳はそれらを改めて確認して思う。
……ああ、目から悔しさとか悲しさとかを含んだ汗が。
しかし由紀はそんな拓巳を眇で見ながら、
「おい、何を泣いているんだ? 遠回しに言うが気持ち悪い。早くその垂れ流している液体を止めろ」
「……いいさ、慣れてるし。てか変な言い方するなっ。――とにかく改めて聞くけど、思うことって何?」
「ああ、それはな……十六連射を駆使して二百五十六発たたき込めば、どんな硬い敵でも撃破できると思うのだが、どう――」
「無理」
最後まで聞きもしないで、呆れ顔にため息を付けて返答。
「おい、えらく速答だなっ。真面目に考えたのか貴様? ……ん、そうか。十六連射はやはり名人でないと無理だと、そう言いたい訳だな?」
「……何その無駄な前向き思考。そうじゃなくて、いや、それもあるけど。ふたりの弾、合わせても百発しかないし。てかそれガセネタだよ? 三百発でも四百発でも壊せないものは壊せませんから! 残ね――」
と、脇腹に衝撃を感じ、呼吸と言葉が強制的にさえぎられた。
「ふっ――」
奇妙な呼気を吐きつつゆっくりと視線を下げて腹部を見れば、隣人の肘が引き戻されるところだった。
「調子に乗るな。ともあれ、所詮は言い伝えか。常識的に考えてやはり無理だろうな」
「……分かってるなら聞かないでよ……」
「人間、いつも上手く行くとは限らないものだ。覚えておけ阿呆。――さて、どうしたものかな。やはりここは定石どおりに囮作戦で行くか?」
拓巳はまだ少し荒い息を吐きながら何度か首を上下に振り、
「えと、それって僕が囮になってる隙に由紀が逃げるってやつでしょ? ……二度ネタだから無しでっ!」
「よし、そんなに言うならば仕方がない、囮役は鈴村に譲ってやろう。ああ残念だ。少しは頑張れよ?」
「うんうん、それじゃあ、そろそろ真面目に考えよっか?」
「人の話を聞かないとは失礼なやつだな。今に始まったことではないが。協調性が欠乏しているぞ」
「……その言葉、そっくりそのまま返していいかな? ――とにかく真面目に!」
叫ぶと、また弾丸が飛んできて近くの木に当たった。そのまま跳ねて目の前に落ちてきた茶色い弾を指先でつまみ上げると、しげしげと眺めながら、
「……やれやれ、しつこいなぁ。きっとモテないね、彼」
眉尻を下げて吐息をひとつ。
「ん、それには同意見だ。遠くからネチネチネチネチと」
「由紀の嫌いそうなタイプだね」
「ああ、二番目に嫌いなタイプだな。ちなみに一番は、鈴村拓巳という名前でぼへーっとした顔でひ弱で間抜けで阿呆で――なぜか美奈に好かれている畜生だ」
由紀は一息で言い終わってからこちらに顔を向けると、わざとらしく驚きの表情を浮かべながら、
「おや、偶然こんなところに鈴村がっ。殺していいか?」
「了承するやつがどこにいるのさ!?」
「騒ぐな冗談だ。今はまだ、な」
「い、今は!? 何だよその暗に秘めた殺害予告は!?」
叫んでみたものの、もはや由紀は拓巳から視線を外していた。予想通りとは言え、やはり切ない気持ちでいっぱいになる。
「話を戻すぞ。サバイバルゲームにおいてああいう人種は強敵だ。忍耐力があり影が薄いから追跡も巧い。言葉を選べば――ストーキング趣味の変人だな」
「……いい選択で。それにしても、はっきり言って関わりたくないなぁ」
「ああ。しかし冷静に考えてみれば、彼がそのまま大人になると思うと少し哀れだな。ここは今の内に拷問にでも掛けて脱・粘着ストーカーを――」
「誰が粘着ストーカーだっ!!」
突然の大声、それと同時に十メートルも離れていない木陰から、ひとりの少年が姿を現した。
「あ……さっきの」
怒りの表情を浮かべているその少年は、さっき拓巳が出会った満研の生徒で、つまりは敵だ。どうやら、すぐそばでふたりの話を聞いていたらしい。
……そりゃ普通は怒るよな。
などと冷静に考える拓巳をよそに、その少年がさらに言葉を続けようと口を開いた。
瞬間。
「てめ――痛っ!」
拓巳の隣でエアガン独特の発射音がして、その迷彩服に弾が跳ねた。
「おい、今確かに当たったよな。宣告はどうした? それとも……もっと食らわないと気付かないか?」
そして、撃った張本人の声。
銃を構えたまま言う由紀を横目で見て拓巳は思う。
……鬼だ、と。
相手は何が起こったか理解が追い付かないのか少し呆然とし、ややあって、
「……ヒット」
「うむうむ。それでいいんだ」
ひとりだけこの場に似合わない、実に爽やかな笑み。
「……なんか今すぐ由紀の血の温度、計ってみたくなったよ」