オタクと冷静男と思い出話-13
「遠矢……」
「は、はい?」
「……僕を、僕を殴ってくれっ!」
「……」
「…………あ」
一瞬にして時が凍り付いた。部屋の中の全ての動きが止まり、永遠に感じられた数秒が過ぎ、
「…………変態」ボソッ。
「ちがっ……! す、少し順番を間違えただけだ! 本当は『これから僕が奇行に走ったら、かまわず殴って止めてくれ』って言いたかったんだよ!」
「……ふぅ」
「変な目で見てため息を吐くな!」
「はいはい……」
「――――!」
もう嫌だ。何で僕はこんなに不幸なんだろうか……。
「くっ……!」
なんだか、無性に部屋の隅で体育座りをしたくなった。しないけど。
「わたくし、アブノーマルには興味ないので話を戻しますよ」
「……僕はノーマルだって」
「戯言ですね。で、あの禁煙の紙は結局どうなんですか?」
「いや、本当だから。いじめられるのなんて辛いだけだ」
「なにか毒電波でも受けてるんですか? 禁煙は?」
「……もういい。前言を撤回するまでお前とは話さないことにしたからな」
「……」
カチッ。
「『ああ、そうだよ! 確かに二人だけのとき』」
「さてっ! 遠矢のために懇切丁寧に説明するかなっ」
止まるテープ。悲しいかな、弱者は常に強者の食料なのだ。
「真面目にやってくださいね?」
「……善処するつもりだ」
「じゃあ、いつ書いたのかはいいですから、何で書かれたのか教えてください」
「あれは、休日にここでタバコ吸ってたら、タイミング悪くつばさと母親が理由もなく、――本人達は不意打ちへの対処の試験とかヌカしてたが――入ってきて、バッチリ見られたわけだ」
「はあ……」
「まずはつばさが咎めて、口頭注意」
「それで?」
「母親が、――あたしにも吸わせろ! とかボケたこと言ってたから、自分で買え子供にたかるな母親、って言ったら殴られた。グーで腹を」
「……」
「あれはヤバかった。息ができずに悶絶したね」
薄く笑いながら遠くを見る。ああ、思い出しただけで腹部が痛む気が……。
「あの、もっと真面目に……」
「真面目だ。完全に実話、疑う余地もなくノンフィクション」
「……うわぁ」
何だか、桜子が一歩引いた気がする。しかし、まだまだ説明は続くのだ。
「で、まだ開けてから一本しか吸ってないのに没収された。そのときの母親ときたら、こんな軽いの吸った気にならない、男ならもっとキツイのにチャレンジだ。と」
「……あの、一ついいですか?」
「ご随意に。ただし、絶対に答えられるわけじゃないけどな」
「じゃあ、はい。あのですね、幸一郎さんの母親はもっとこう、咎めたりとかしなかったんですか? 自分の息子の違法行為を」
「あの親がそんな事を考える訳ない。そんなちゃんとした倫理感が備わっている親なら、息子を家事に扱き使うことはないだろ。それに、最初の一本をくれたのは母親だしな」
「……」
「まあ、こっちも取られて悔しかったから、知るかちょうど止めようと思ってたんだ母親と違って健康思考で長生きしたいからな、って言ってしまって」
もはや桜子は何とも表現できない目線を向けてくるだけで、ツッコミを入れようともしない。
「その後、自分でも低レベルだと思われる罵声の浴びせ合いになって、禁煙できるもんならしてみろこの若年性ヤニ中毒者め、ってことでマジックの方を書いて逃げられた」
「…………なんと言うか、エクストリームな家庭ですね。それで、もう一枚は?」
「つばさが字が汚いからって事で新しく書いて、貼った。細かい理由は知らないし、たぶん元からそんなものは無いと思う。……これで全部だ。お気に召しましたでしょうか、お嬢様?」
「ええ、ありがとうございました。……下らないですね」
「ああ、かなり下らないな」
部屋に、何とも嫌な沈黙が降りる。はっきり言って、こういうときの沈黙は下手なツッコミよりもグサっとくるものだ。
「……大宅さんの不機嫌の理由を探しましょうか」
「そうだな……」
このまま過ごすのは時間の無駄だと判断したのだろう。確かにそう思う。本来ならフラグがどうのとか、禁煙がこうのとか言っている暇なんぞ無かったはずなのだ。
すると、しばらく部屋を見て桜子がぽつりと言った。