オタクと冷静男と思い出話-12
視線の先には、
「禁煙……」
二文字『禁煙』と書かれた紙が二枚、ピンで止めてある。片方は毛筆で書かれた達筆な草書、もう一方は下手くそな楷書、しかもマジックだ。
「禁煙って……」
「見ての通りに単純明快、タバコを吸わないための目標だな」
「じゃあ、タバコ吸われるんですか?」
「やってもいないことを我慢できる奴なんているのか?」
「……それもそうですね」
分かってくれたか。良かった良かった。
「それはよく分かりましたが、何で二枚なんですか? それに見たところ、それぞれ別の方が書かれたようですけど」
「……つばさと母親が書いたんだよ」
つばさの名前を聞いた途端、餌を見つけた獣のように目を輝かす桜子。
「そのときのお話、詳しく聞かせてほしいですね」
「……長いけど細かい説明と、短いけど大ざっぱな説明のどっちがいい?」
「それじゃあ……短く大ざっぱの方でお願いします」
「分かった。アレは確か一ヵ月前……」
「一ヵ月前?」
「いや、三日前だったような」
「……」
「もしかしたら半年前かも」
桜子はそこまで聞いて呆れたように、
「……幸一郎さん、今日はボケっぱなしですね。しかも、つまらないですし」
「……」
確かに。自分でも分かるほどおかしくなってるし。
もう絶対に真面目に行くぞ! そう、若かりし栄光の日々を取り戻すために!
…………いや、これじゃあやっぱりダメだろ……。
そこであることを思いつき、深く考えもせず即実行。桜子の両肩に手を置き、
「なあ遠矢」
呼び掛け、できうる限り最高に真剣な表情を作る。
「な、なんですか? 急に改まって」
見たところ戸惑っているようだ。当然の反応か。
僕はそんな桜子の顔を真っすぐ見据える。背中の中程まである絹のような流れる黒髪に映える、上気し微かに朱に染まった透けるような白磁の肌。僅かに不安を含んだ揺れる瞳は、黒曜石を思わせる深い黒を称えている。そして軽く結ばれているふっくらとした整った唇は、見た者全てがそこから紡がれる声音の美しさを思うことだろう。
……あ、こいつ以外と可愛いかも――。
……って、待て。待て待て待て、待ってくれ。待てよコラ!
アレはどう転んだって桜子な訳であって、アレは、いくらアレでも桜子はちょっと……ってな訳で――!
……ステータス異常『混乱』発症。
「あ、あの……?」
しかし、戸惑いがちに投げ掛けられた言葉で我に返る。
「ああ、悪い、ちょっとボケッとしてた。気にするな」
「そうなん、ですか? なんだか辛そうでしたよ」
「あー、それはイレギュラーな事態に対処する精神の自己防衛機能が働いて……」
「いれぎゅらーな事態とは?」
「……僕の中で最高レベルの国家機密。だから漏洩は絶対阻止しなくちゃいけない」
「? よく分かりませんけど、とりあえず言えないんですね?」
「ああ……」
言えない。言える訳がない。桜子に見とれて、あまつさえ可愛いと思ったことなんて、口が裂けても、否、無理矢理に裂かれたところで絶対に言える訳がないだろ。
不意にそこで嫌な予感がした。
僕が見とれていたとき、桜子の顔を正面から真っすぐに見据えていた。で、桜子もこちらの顔、と言うか目を見ているようだった。つまり、向かい合ってお互いの目を見ていたと言うことだ。それは一般的に言って………………み、見つめ合って、いた?
しかも、あの時桜子の頬は朱に染まっていた。さっきは深く考えなかったが、あれが運動などによる上気じゃなかったとしたら、まさか……好感度が上がって、フラグ立っちゃったとか? このまま桜子ルートでエンディングか!?
いや、まだ桜子が自分で言ったわけじゃないし、性格を考えたらちょっと……。てゆーか僕にはつばさが!
……まあ、別に付き合ってるわけじゃないけど。でも……。
いや、とりあえず話を終わらせてからじっくり考えよう。