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No689-2008/11/30 20:10
男/平安京の
PC-2HAwrSAg
どうにもリレーでキラーパスを送ってる気がしてならない。
ワザと半端で切って、リレー故の『さあ下の句は?』と放置してみるも、僕が放置される羽目になります…鬼畜とKyousukeさん辺りは作風が似てて喰いつきいいんだが。
取り敢えず塹壕掘って隠れてます…ってちょっと!誰?掘った端から土…生き埋め…しーん…。
No687-12/12 21:58
男/黒焔龍使い
HI36-AFpj2t/t
白い梟さん、孤月さん、コルトさん、ジョンさん、夢庵さん、回答ありがとうございます。
スランプの様な事は書く人にはつき物みたいですね。
発生しない人は天才?
それにしても、ヤッパリ書き方1つ取っても違うものですね。
白い梟さん>
自分も文章と映像では特徴(特性)が違うと思っています。
ですが、その"映像の良さを何とか文章に持ち込む"事をどうしても諦めきれない事もあるんですよ。(勿論、文章としての特性は出しつつですが)
実は、スランプの原因の半分もそこに起因してたりします(泣き
No686-12/10 10:50
男/夢庵
V802N-DgvZjMQe
スランプもいろんなケースがありますよね。
単にシーンのつなぎがうまく行かないとか、やる気とか、自分の能力に満足いかなかったりとか。
しかもその悩んでた期間の長さが品質に繋がるかと言えばそんなこともなく。
どうせ悩んで書いても気楽に書いても、読者にとっては同じですし。
だから吹っ切れればいいんですが、そう簡単にはいかず。人間だもの。
とりあえず自分が『書きたい』と思える状態に持っていくのが一番ですかね。別の物語を始めるもよし、しばらく執筆から離れるもよし、他のことをして気分を切りかえるのもよし。
ま、口で言うのは簡単なんだけどなー!
No685-12/10 00:50
男/白いフクロウ
811SH-OtmwnKgP
『迷路癇の殺人』は『迷路館の殺人』の誤字です。本のタイトルなので一応訂正いたします。すみません。
No684-12/10 00:47
男/白いフクロウ
811SH-OtmwnKgP
ぼくは映像で表現できることが文章ではできない、みたいなことを“差”ではなく“違い”だと考えるようにしています。つまり、映像で表現されているものを、文章で同じ効果をだすようにしようとしても無理なのは、そもそも映像と文章は違うものなのだ、と。
そしてもちろん、映像では表現できない“文章ならでは”のものもあるのです(わかりやすい例を上げるならば、綾辻行人の『迷路癇の殺人』や貫井徳郎の『慟哭』など)。
映像の良さをなんとか文章に持ち込むより、文章でしか出来ない表現方法を模索したいと常々思っているのです。
なんてなんだか偉そうに語っていますが、まあ持論ですので。スレタイに免じてお許し下さい。
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