[
書く|
編集|
削除|
古順]
[
戻る|
前頁|
次頁]
No667-08/12 10:17
男/賢
PC-oDey9rh2
そういう考え方も間違いではないとも思いますが、
それであったら、小説は、映画に比べて、漫画に比べて、なんら長所のないものになってしまうと思います。
息を呑むような映像美も、引き込まれるような迫力のある絵も無いんですから。
小説では、映画で言う映像や音、漫画で言う絵や構図などに当たるもの(それらは最も重要なものだと捉えられているはずです)はなんなのか。
それはやっぱり言葉それ自体だと思います。
ある人の受け売りですが、
真の小説とは、小説でなければいけない部分以外の一切を取り除いたものである。
というような考えがあるそうです。
その意味で、極めて乱暴な言い方をすれば、最近の携帯小説なんかは小説とは呼べもしないものなのかもしれません。
実際、「小説というよりは脚本のようだな」と思うことは実に多いです。
2レスも使って長々となんだか偉そうにすいません。
No666-08/12 10:16
男/賢
PC-oDey9rh2
俺は、記号を使っていたり、小文字を使っていたりしても、それを好む読者がいるのであればそれを悪いとは言えない
というくらいのスタンスでいるんですが。(俺は読みませんが)
そこには小説というものの捕らえ方の違いがあるんだと思いますね。
言葉そのものの魅力を楽しむ。というのが小説の楽しみ方の大切な部分だと思っています、つまり
言葉をどのように操り、どれだけ言葉の本質を引き出しているか。という点。
しかし、やはり記号乱用などをしているものの多くにはその面白さが見出せませんね。
小説の「中身」「中心」はストーリーであるという考え、それ以外のものは修飾にすぎないという考えが、
そういったものの背景にあるんだと思います。
No665-08/12 00:10
男/ソロ
P902i-Dkh21NsM
あ、それと、この板は顔文字、記号などは駄目なようです。
>2恥ずかしながら私も以前、注意されちゃいました。
で、これは板違いですが、上で使ったジャンプ機能、このサイトでは#数字#で使えます。
お節介ですみません。
No664-08/12 00:03
男/ソロ
P902i-Dkh21NsM
失礼します。
>622から読ませてもらいましたが、やはりこのような話は定期的にされるもの。というのに同感です。
ただ、この話し合いに参加(もしくは傍観でも)している皆様は、きっとより良い作品を作り上げようと思われているようなので、書式や作法は個人個人で違っても読める作品であることに変わりないと思います。
問題は、小文字や記号を用いる作品でも内容良ければ良しとする時代なのかに疑問。そしてそれを受け入れる時代なのかに不安。ということではないのでしょうか?
はっきり言ってしまえば、今はその時代です。
読み手を若年層とするならば、普段聞き慣れない言葉で情景描写をするよりも簡単な記号で容易に想像させる方が安い。という時代なのです。哀しいけど。
ですが、古き好きを愛す。ではありませんが、必ずしも時代は全てそうなるとは思いません。
現にこうして、皆様は憂いてますし。
時代は刻一刻と変化していきますが、それでもやはり愛される「小説」というのは、どのように花が綺麗だとか、空の青さはつまりどういった目に映るのだとか、そういう細かい描写の入った作品であることに変わりないと思います。
脱線及び駄文、失礼しました
No663-08/11 23:08
男/零凱
N901iS-4FtCthEa
>660あら源春さん、早速間違いがあるじゃありませんか。
ずらい→づらい
零凱は姑です(笑)。
<
戻る|
前頁|
次頁>