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No11-07/05 23:32
司(SN31)
白牙さん〉「木更津キャッツアイ」の原作本は9割が会話ですよ。ほとんどすべてが会話のみで行動を書く(地の文)はわずかしかありません。
一度読んでみるとかなり参考になると思います。
No10-07/05 14:14
白牙(SH251iS)
皆さんどうも!色々参考になります。
ん〜、一通一通に同意してしまう自分…(苦笑)けど、やっぱ面白そうなんで、良いのが作れそうな時にやらせて頂きます。
作れるかどうか分かりませんが…(微笑)
No9-07/04 11:09
賢(P901i)
会話文だけっていう手法でも、ある短い一場面、しかも登場人物が少ないといった場合は結構簡単に作れるのではないかと思います。場面展開があったり登場人物が多かったりすると難しいでしょうね。物語の冒頭だとかに導入部として使ったりするのも面白いと思います。ただやっぱり長編の全体を会話だけはムリだと思います。
No8-07/04 02:10
弥汰丸(CA31)
私見で失礼します、弥汰丸です。
さすがに会話文のみっていうのはかなり難しいでしょうね……全ての地の文、心理描写を会話文の中に入れることと同じようなものですからね……一度普通に書いた小説を会話文のみのものにしたことがありますが、(私が拙いだけでしょうが)私では無理でした。途中で頓挫しました。
もし話:地を8:2ぐらいにしたならまだ楽ですが、多分かなり毛肌の違うものになるでしょうね。
(無論、専用に作るなら話は別でしょう。)
私見ばかり述べてすみませんでした、失礼しました。
No7-07/03 23:36
そいる(D900i)
会話だけで表現するのはたぶんすごく難しいと思いますよ?
説明臭くならないように言葉を選びながら自然な会話らしく描写していくのは至難の業かと。
個人的には、文体は「物語を描くために使用する技術」であって、その物語に対して最も効果的な文体を選択すべきだと思っています。
まず技術のネタが先にあってそれに応じた物語を探そうとしているなら、それは本末転倒のような気がします。
上はあくまで個人的な考えです。考え方は人それぞれで違うでしょうし、お気に障ったならすいません。
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