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No285-12/27 01:10
もときち(CA38)
なんか大事になってしまってすいません…
決して悪気があって書き込んだ訳ではないのでお気を悪くされたのなら謝ります。
すいませんー
No284-12/26 07:01
そいる(PC)
心があるから殺しちゃダメ。
なら、脳死状態の人なら殺していい?
悲しむ人がいるから殺しちゃダメ。
なら、悲しむ人がいなければ殺してもOK?
そう考えると殺人がダメなのは心の有無は関係なさげ。
さて、これまで静観してましたが、なかなか終わらないのでスレ主としてお願いがあります。
今回のテーマについての議論はこのスレの趣旨にあわないように感じられるので、スレの移動をお願いします。
移動先:倫理的主題を語るスレ
よろしくお願いします。
No282-12/25 23:09
冬汰(P903iTV)
>281:続き
さて、社会を形成する『大多数』の人は、他の人がヒト(生物学的)であるだけで@Aなど(=心?)を持っていると判断していると思う。
だからヒト(他人)は自分に最も近い存在であり、殺す事は社会通念上タブーになったんではないでしょうか。
つまり
"自分に近い者は殺さないのが普通だ"と考える"人"たちで形成された社会が生み出した理念でしかない。
って答えになったわけです。
逆に社会がなければ構わないんじゃない?
なんか極論な感じで書いてて怖い考え方だけど…。
因みに、この“近い者”ってのもいろんな意味がありますが割愛します。
以上、長々と乱文失礼しました
No281-12/25 23:06
冬汰(P903iTV)
>279:ガキさん
僕もそこに引掛かり、その根源を元に導き出したつもりです。長くなりますが、宜しければおつきあいください。
前提として、
人とは(例外あり)
@恐怖(=ex死)といった“負”の感覚がある。
A他者の立場で想像できる。
(その他多数省略)
B人に限らず『殺さない理由』として、主に精神的に"自分"に近いから。同調性や共感って事かな…。
C生物学的ヒトである(参考
>274:黒焔龍使いさんより)これも大事な要因
Bについて
例えば、僕はこういう人ですが、似た方は他にもいるんじゃないでしょうか?↓
蟻がいます。僕は気分で仕留める事もあります。蟻が本能だけで生きていると思っているし、生物学的に僕から離れているからです。(いちいちそんな事は考えないけど)
しかし、その蟻に「助けてくれ」と必死に懇願されたら、よほどの事情がない限り殺さないと思います。簡単に言えば、蟻が@を持ったと知った事でAを持つ僕にBが生まれたからだと思います。
No280-12/25 17:21
カラ(SO703i)
人が人を殺す理由なんて、沢山あると思います。
でも、どんな理由があろうと人を殺しちゃいけない。
理由があるとするなら、
人に心があるからだと思います。
悲しかったり、嬉しかったりして皆生きているのに、それを奪うのもそうだし、
悲しみを人を殺すって手段で逃げる事は許されないんだと。
世の中には、大切な人を殺されて…犯人を殺したい位憎んで…
それでもそれを抱えて
ちゃんと生きてる人もいるんだから。
それを思えば…どんな理由があっても殺人は許されない…。
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