PiPi's World 投稿小説
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No9-05/21 23:11
男/そこつ者
PC-gL9wszWA
>>No8
ZFさん、あの赤ちゃんは架空の人物です。
実はまだ名前も性別も決めていないんですよ。
私は武将達の幼名についてはあまりよく知らないので、まだ考え中です。
No8-05/21 18:19
男/ZF
TS3B-MYdnVB.V
因みになんですが、冒頭に生まれた子供は実在の人物ですか?
またそうだとしたら名前は何と言うのでしょうか?あと主なエピソードもお願いしますv
No7-05/21 18:11
男/ZF
TS3B-MYdnVB.V
歴史を勉強しないといけないですね(>_<;)

因みに1563年に生まれた秀吉の子供は“賤ヶ岳七本槍”の一人加藤嘉明と同じ年に生まれたのですね♪
これは使えそうですねぇ
( ̄―+ ̄)ニヤリ
No6-05/20 22:45
男/そこつ者
PC-gL9wszWA
続きです。
秀吉の子供達が歴史の流れに影響を及ぼすほどの活躍を始めるのは1580年代以降でしょうね。例えば小牧・長久手合戦で三好秀次ではなく息子達の誰かが指揮官になったり、ことによると中入れに成功して家康を敗退させられるかもしれません。
それに娘達はいろいろな家に嫁がされましょうから、1570年代以降、秀吉寄りの立場の武将などが増えると思います。毛利家や宇喜多家、ことによると徳川家にも嫁入りするかもしれませんね。

ちなみに、秀吉が側室を次々に抱えだす(というより持てるようになった)のは近江長浜城主になった頃からだそうです。
ですので1570年代後半〜1580年代が最も出産の頻発する時期でしょうね。
No5-05/20 22:36
男/そこつ者
PC-gL9wszWA
ZFさんはじめまして。ご助言ありがとうございます。
まず、合戦等ですが、これは本能寺の変かその少し前までは史実どおりに発生して史実どおりの勢力同士の戦いになると思います。
秀吉の最初のほうの息子達は父の中国地方方面軍に途中から参戦して初陣を飾るということになると思います。ですから、1560年代、1570年代はほぼ史実をなぞる結果になると思います。秀吉の動向に子供達が大きく影響しだすのは1580年代以降になると思います。それまでは家庭の風景や、史実でも集めた尾張・近江の若い家臣(加藤清正、福島正則、石田三成、大谷吉継などなど)と共に笑ったり泣いたり、喧嘩したり遊んだりしながら育ってゆく少年時代の子供達を描いたりということになるかと思います。
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