PiPi's World 投稿小説

卒業
作:ぺこにゃん。

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「残念ねぇ、引っ越しちゃうの。」

気のいい大家さんにご挨拶にいくと、お世辞かもしれないけれど残念がってくれた。

「すみません、転勤になってしまって…」

ちょっとウソをつくのは心苦しいけれど、本当の理由を話すのも気が引ける。

「仕事も大事だけど、そろそろ結婚も考えなさいよ。大きなお世話かもしれないけれど。」

悪気はないのだろう、本当に私のことを心配して言ってくれているのだろう。
でも、ごめんなさい。
まだその手の話題は苦笑いでごまかすことしかできない。

やっと、この部屋から卒業する決心ができた。
大学入学と同時に上京してからずっと暮らしてきた居心地のいい部屋。
いろいろな思いも出来事も詰まっている部屋。

新居を求める人が多いシーズンに突然思い立った割に、転居先はあっさり決まった。
性別を超えて仲の良い同期の実家が不動産屋で、そこでいい部屋を見つけてもらった。

「でも残念だわぁ。」

本当に残念そうに言ってくれる大家さんとお別れするのは少し寂しいけれど。
私はここから卒業しなければならないのだ。





「期末の忙しい時にごめんなさい。」

残業で少し遅くなる、という連絡をもらっていたから、その男がこの部屋の玄関を開けた時に素直に謝る。
例年この時期は仕事が忙しいらしい。社会人ならほぼみなそうであろう。

「いや、大丈夫だよ。遅くなってごめんね。」

優しくそういうと、私を軽く抱きしめる。あくまで、軽く。
このままの姿で抱きしめられるとき、私は異様なほど気を使う。
ファンデーションがつかないように、だとか、香水の類はつけない、とか。
その男からコートとスーツの上着、緩められた趣味のいいネクタイを受け取ると、ハンガーにかける。

「でも朱莉(アカリ)から誘ってくれるなんて珍しいね。何かあった?」

穏やかに笑いかけるこの男の左手の薬指には所有者がいる証が輝いている。
もう5年近くこの関係を続けてきたけれど、それが外された日を私は見たことがない。

「食事は?」

男の質問には答えなかった。
ううん、答えられなかった。
答えてしまったら、決心を切り出す勇気が消えてしまいそうで。

「いただこうかな。その前に朱莉を食べたいところだけど。」

キスをしようと近づく男をすり抜けて、キッチンへ向かう。

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